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学生時代の「大文字の送り火」の苦くせつなく、淋しい思い出

 拙著、「京都祇園もも吉庵のあまから帖」シリーズの第1巻で、8月16日の「京都五山送り火」にまつわるこんなシーンがあります。
室町時代創業の和菓子店「風神堂」の社長秘書のなった朱音と、京極社長の会話です。
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「どうしたんだね、泣いてるのかい」
京極社長が、突然、移動のタクシーの中で話し掛けてきた。
「いいえ、なんでもありません。ちょっと可愛がってくれていた祖母のことを思い出してしまって」
「そうだったね。入社直前に急に亡くなられたって聞いたよ。お悔み申し上げます」
「はい、でも大丈夫です」
「もうすぐお盆だ、うちはサービス業なのでお盆休みはない。その代わり、みんなで交替で休んでもらうからね」
「はい、聞いています。初めての京都の夏なので、大文字焼きを見ようかなって」
「それはいいね。でも、正しくは五山の送り火いうんや。大文字いうんは、左大文字、鳥居形、妙法、船形という五つの山で焚かれる送り火のうちの一つや。キレイに見せるために、お山を焼くんやないんや。まあ今は観光目的にもなっているが、ご先祖の『お精霊さん』を送る仏教の行事やからね。京都で仕事するんやからよう覚えておいてや」
「あっ、はい、勉強になります」
「お婆さまの供養や思うて、手を合わせたらええ」
 
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そうなのです。
旅行代理店のツアーでは、祇園祭と同様にまるで「観光イベント」のように広告がなされているものがありますが、「送り火」は先祖供養のためのものです。
東山の「大の字」、松ケ崎の「妙・法」、西賀茂の「船形」、大北山の「左大文字」、そして、嵯峨の「鳥居形」と、午後8時頃から5分ごとに順々に火が灯ります。
 
さて、この「送り火」を初めて見たのは、大学1年生のことでした。
京都のR大学に行っていた高校の同級生M君が、
「大文字の送り火の日に遊びに来いよ」
と呼んでくれたのです。
もちろん、その頃の私は、京都は好きではありましたが、それほど詳しい訳ではなく、M君にあちらこちらと案内してもらいました。
中でも印象的だったのは、四条河原町の高島屋デパートの中にある喫茶店でのことでした。
「名古屋では、アイスコーヒーのことを『アイス』って言うだろ。こっちでは、『レイコー』って言うんだ」
と、得意げに教えてくれました。
その後、鴨川に出て、
「カップルがずらりと何組も河原に座っているだろ。その間隔が実に正確に等間隔なんだ。これを『鴨川の等間隔の法則』って呼ぶんだ」
と、言うのです。
私は、すっかり京都の人間になってしまったM君が眩しく見えました。
 
この後、夕暮れまでにはまだ早く、少し街をぶらぶら歩くことになりました。
たしか、三条烏丸かどこかの交差点で、信号を渡っている最中の出来事でした。
M君が、通りの向こうから渡って来る女の子に、パッと手を上げました。
すると、向こうの女の子が、ニッコリ笑ってコクリとお辞儀をしたのです。
M君の顔をチラリと見ると、何やら顔が赤らんでいるではありませんか。
 
すぐに察しました。
コイツは、あの女の子に惚れてるな。
横断歩道のちょうど真ん中で、M君は女の子に言いました。
「よう」
「お友達?」
「高校の同級生」
「こんにちは」
「こんにちは」
私は、ペコリと会釈して挨拶しました。
 
次の瞬間、思わぬことが起きました。
M君は、横断歩道の真ん中にもかかわらず、私にこう耳打ちしたのです。
「あのさあ、頼みがあるんだけど」
「何?」
「大文字さぁ、一人で観て来てくれるかなあ」
 
なるほど。
そういうことか。
M君と彼女は、付き合っている訳ではないようです。
ここで、偶然に出逢ったという大チャンスを、M君は活かしたいと思ったのでしょう。
しかし、悪いことに、友人(私の事)がわざわざ名古屋から来ている。
それも、誘ったのは自分の方。
後ろめたい。
でも、彼女と一緒に、大文字の夜を過ごしたい。
M君の心の声が聴こえました。
「ごめん」
 
私は、その気持ちが、語らずともよく理解できました。
ここで、「No」と言っては男が廃ります。
「いいよ」
と言うと、M君は、来た道を彼女と一緒に戻って行きました。
信号が点滅しているので、急いで「一人で」横断歩道を渡ります。
一人で、時間を潰し、賀茂大橋から大文字の送り火を、雑踏に埋もれて初めて眺めたのでありました。
苦くせつなく、淋しい思い出です。
 
 
写真は、京都駅新幹線コンコースのスターバックスの黒板アートです。
 


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