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「このくそガキが。」と思ったらレッドカード

どうでもいい話ですが
誰にも言えないのでここで。

私は子供がめっちゃ嫌い。

飲食店で騒ぐキッズを見ては

「帰れよ」

と思い

電車で騒ぐキッズを見ては

「静かにできないなら乗るな」

と思い

歩道で横に広がって
歩く子を見ては

「このくそが」

と思う。

それくらいに
心が汚れていて

さっきダイソーで幼稚園児が
ダッシュしていて

私の目の前で転倒したのだけど

「あら、大丈夫?」

って咄嗟に声を出してた私。

なんか自分にびっくり。

目の前のお嬢様に
気遣いの言葉をかける
優しさなんてあったんか、

わたし。

それがすごく面白かった

以上。


ここからは今日のことを
忘れないために
自分用メモ。

ーーーーー

目の前の子供に対して
心配ができるほど自分の心は
クリーンになったんだなあ

なんて気づいた。


飲食店にいるガキが嫌いだったのは
よくよく考えれば
飲食でバイトしてた時の思い出が原因で

ファミレスとかで社畜していた人なら
なんとなくわかると思うのですが
キッズが走り回ると
めちゃくちゃ鬱陶しいし

そういうキッズがご一緒の
お客様ってなかなか帰らん。

ので、
店の回転率悪くなる。

それと、
なにより

お客様が帰られた後の机が
まじで悲惨。

なんかティッシュ多いし
食べ残し多いし
謎の落書きあるしで。

バッシングに時間がかかる。

電車にいるお騒がせな
お子様に関しては

うるさくて嫌だし
邪魔だし

きちんと座れない奴だと
靴のまま椅子に登って
景色見始めるから
隣にたまたま座ってる
私の服に
土足が当たって

汚れたりするわけで。

それを制御できない親を見ては
嫌悪感を感じたり。

道で広がるキッズは
歩くの遅いので
私の歩行の邪魔になる。


という具合に
なんだかんだ嫌な記憶があって

積み重なって

小学生くらいまでの小さい子が
めちゃ嫌い。

でも今日のダイソーの子供には
心配できた。

ふしぎね。

私はレジ終わって
サッカー台に向かっていたところに
目の前にその女の子は
突然現れて

それで大の字で転倒して

行手を塞がれた

けど
イライラしなかった。

偉い私。

その時の私は

別に急いでないし
両手が塞がってたけど
買ったの安物だから落としてもいいし
荷物軽いからサッカー台に
早くかご置かなくていいし。

そんな条件があったから
キッズを心配してあげられた気もする。

それで何が言いたいかというと

余裕って大事だなって思った。

そりゃそうなのだけど

人間焦って自分が自分が

ってなってる時ほど
自分の行手を阻むものに対して
優しくできない。

私はそれが小さい子に
顕著に出てたみたい。

相手を思い遣った行動とか
公共の場のマナーとかが
身についていない
お子ちゃまは

そんなこんなで
よく私の怒りの原因になってた。


余裕がやっとできたのは

休職してからな気もする。


休職中は時間が無限にある。

電車に乗り遅れても
次に乗ればいいし

飲食店で子供が騒いでて
その日の気分的に
不快だと感じたら
そのお店じゃないところに
行けばいいし

電車でキッズの靴が
自分の服に当たって
たとえ汚れても

ゆっくり洗濯すればいい。

前をヨタヨタ歩く
園児に遭遇しても
別に急いで歩いていく場所もないから
私もヨタヨタ歩けばいい。


それが仕事をしていると
そうはいかない。

いつもの電車に乗るのに

いつも通りに駅に到着しないと
ちょっとまずい。

だから早歩き。

の、はずが
いつもの歩道で
前歩く子がゆっくりさんだったら。

当然イライラ。

駅についても
いつもの時間にホームにいかないと

座れなくてだるいから

引き続き
いつも通りの行動が大事。

ところが

いつもの自分のホームの定位置に
遠足の小学生がいたら

「最悪」

昼休憩、
いつものお店で
スムーズに昼食を食べる予定が
春休み中の子供達が
家族で大騒ぎランチ。

羨ましいな
と思うし

そういうガキがいると
自分の料理のオーダーも
通りにくくなる。

こんな調子に
常に急かされて

次の予定のための
今の行動

みたいなことしてると
周りが見えなくなるし

自分の予定に
融通がきかなくなってくる。


これは気付けば
自分を締め付けているようにも
思う。

ちょっと朝に
コーヒー飲んでから
出社しよう。

なんてできないし

昼食にいつもと違うお店を
選んでみる。

なんてこともできなくなる。

ガチガチの予定の方が
そりゃ考えなくていいから
色々ラクだけど

その分、その予定が崩れた時に
半端ない怒りとか焦りが
できるように思う。


これは自分的に赤信号。

だよ、と覚えとこうね。
私。


私は大変不器用なので
自分に余裕があるのかないのか
つい見失う。

幸い子供が多いところに住んでいるので
これからも
「かわいいな」と思って
お散歩する園児に手を触れる日を

一つの目印にしようね。

「このくそがきが」

と思ったら
それは自分への言葉なのかもしれない。


同情するなら投げ銭して