名前をつけることができない 2人の関係 2
本の感想が続いているが、今日も今日とて凪良ゆうさんの「流浪の月」について書いていく。
「大人になったら、今よりもっとたくさんのルールに縛られるのよ」(更紗)
(更紗は夕ご飯にアイスを食べることが昔からとても好きである。)
「そのために(アイスを夕ご飯に食べるために)手放したものがたくさんあるの」
(中略)
去っていく亮くん(更紗の元カレ)の後ろ姿がよぎった。抑圧されると同時に庇護されていた。それらを手放した代わりに、私は果てのない大海原に突き出した岬に、ひとり立ち続ける自由を手に入れた。ごうごうと風が吹いて、四方八方に逆巻く神に常に頬をぶたれている。
(223ページより)
私たちは大人になるにつれて、自由になると同時に「責任」を負わなければいけないようになる。ずっと守っていてくれた親元を飛び出して、社会へ羽ばたいていく。
今の時期の私は人生で1番自由なのかもしれない。まだまだ責任を誰かがおってくれる部分があって。自由に使える時間が多くて。この先これ以上の自由を手に入れるためには、何かを犠牲にしなければいけないかもしれない。「自由」を手に入れることは、ある意味で孤独なのかもしれない。「自由」を手に入れるためには、何か大きなものにずっと逆らい続けなければいけないのかもしれない。人や社会の変化や、大きな力に。
きっとただ歳を重ねただけでは、いつまでも自分をがんじがらめにするルールから、飛び出していくことはできないのだろう。
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私たちの間には、言葉にできるようなわかりやすいつながりはなく、なににも守られておらず、それぞれひとりで、けれどそれが互いをとても近く感じさせている。
わたしは、これを、なんと呼べばいいのかわからない。
(239~240ページ)
こんなに思いやりがあふれている世界で、これほど気遣ってもらいながら、わたしは絶望的に分かりあえないことを思い知らされるばかりだ。
せっかくの善意をわたしは捨てていく。
だってそんなものでは、わたしは欠片も救われてこなかった。
(270~271ページ)
あることがきっかけで更紗は最終的に、わいせつ行為をしていたのは自分と一緒にいた文ではない という、彼女にとっての「真実」を警察に伝えることができる。
もちろん警察官はそんなことを信じてくれなかった。世間の多くの人から見れば、ロリコンの文は「加害者」で、少女だった更紗は「被害者」なのだ。
2人は真実を伝えることに意味はないと分かっているのだろう。ただただ互いを大切にして寄り添って生きていきたいだけなのだ。その関係に名前はなくとも、その関係を心から必要としているのだ。ただそれだけを望んでいるのだ。
真実は現実にはならない。彼女たちの正体がバレればもうその場所では生きていけないのだ。
善意で救われない人もいるのかもしれない。どんなに他者から思いやりの気持ちを感じたって、優しくされたって、大切にしたいのは、ずっと一緒にいたいのは、心の真ん中にあるのは、たった1人の誰かなのかもしれない。
その2人の関係に名前をつけることはできないかもしれないけれど、ただ1つだけ言えることがあるとすれば、人は他のものを全て捨てても、犠牲にしても、一緒に生きたいと思えるほどの相手に出会うことがあるのかもしれない、ということだ。
逃れられない出会いというものがあるからこそ、「運命」を信じる人がいるのかもしれない。
なんだか「天気の子」の2人の関係を思い出した。