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「麦本三歩の好きなもの」を読んで 1

住野よるさん作の、「麦本三歩(むぎもとさんぽ)の好きなもの」。
住野さんの作品の中ではメッセージが強くない素敵なお話が詰まった短編集だった。なんだかこの自由奔放(?)で ちょっとずれている(?)でも生き方が自由(?)な主人公が、とても好きになった。羨ましいと思ってしまうくらい。


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10ページ「麦本散歩は歩くのが好き」より

無意味は意味の引き立て役でもない。無意味な日常があるから、意味ある日が大切に思える、とかじゃない。
無意味な日々も、意味ある瞬間もどっちも大切で、それが一番いいということなんだとのんきに思う。

とても素敵な考え方だと思った。この本の主人公に惹かれた最初の瞬間だ。無意味なことと意味なことを関連づけちゃいけないな、意味があることの反対を「意味がないこと」だと簡単に括っていてはいけないな〜と思ったりもした。
「役に立つこと」と「役に立たないこと」もなんだか同じような感じがした。明日の自分や将来の自分に一見役に立ちそうにないことも、価値がある。役に立つことと比べる必要なんてなくて、「役に立たない」ことを大切にしたって良いのだ。

「役に立たないことは無意味だ」なんて、そんなふうに考えなくたって良いのだ。「役に立たないことは価値がない」なんて、いつの間に誰が決めてしまったんだろうね。無意味なことに価値を見出すことに、価値があったりするのかな。

「役に立たない」から"無駄"なんて、いつだって切り捨てなくなって良いのにさ。


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82ページ「麦本散歩は年上が好き」より

幸せの中にある重労働。麻痺していて気づかない重労働。

恐ろしいほどに主人公の気持ちに寄り添えた。主人公三歩にとって幸せの中にある重労働というのは、彼との「恋愛関係」の中に必要になってくる「気遣い」だった。部屋は綺麗に掃除しておかなきゃいけないとか、部屋着は可愛いものを着ないといけないな、とか。1人だったら気を遣わなくても良いことでも、2人だから気を遣わなきゃいけないことって、意外とたくさんある。すごく分かる。

彼と一緒にいるのは楽しい。好きな人と一緒にいるのは楽しい。それでも、幸せの中に少しの気遣いが必要だ。1人で居る時の気楽さとはまた別の快い気分になれるのかもしれないけれど、ほんの少し身軽さが足りない気がする。

好きな時間に好きなことをして、好きなものを食べて好きに過ごす。当たり前のようで当たり前じゃないこの事に、誰かと一緒の時間をおくっていないと気づけないのだ。

誰かと一緒にいるってことは幸せかもしれないし孤独を感じないかもしれないけれど、相手の重みをほんの少し感じるっていうことだ。その「重み」を心地よいと感じられるかどうかは、きっと相手との関係次第なのだろう。


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194~195ページ「麦本三歩は魔女宅が好き」より

何故かは分からない。(略)自分の中にある、真っ赤な口紅の似合う大人なお姉さんになりたいという部分を、わざわざ強調して誰かに見せることはもうないような気がした。

自分の中にある、普段は誰かに見せたりしない部分。隠している部分。そんな部分を外に出したいと思うことは、多くの人にあるんじゃないだろうかと思う。

例えば1人で街に出るとき。いつもよりほんの少し濃いめのグロス。いつもよりおしゃれをして少し高い靴を履いた自分。せっかく1人なんだから自分の中では「理想的」だとも思える雰囲気を醸し出したりなんかして、ほんの少し良い気分に浸ったりなんかして。

でも1人で良いのだ。自分の知らない自分を知っているのは、1人で良いのだ、と私は思う。「自分より自分のことを知り得ている誰か」なんて存在してほしくない。普段は内側に隠れている自分を外に出す時の自分は、誰も自分のことを知らない世界でのんびり生きていたいのだ。

この気持ちを分かってくれる人いないかな。

普段の自分に疲れたりなんかして。ちょっと違う自分で生きていたくて。
馴染みがあるようで馴染みがない自分で過ごしたくて。
いつもとはちょっと違った価値観の自分でいたくて。

周りの人には認めてはもらえような「自分『らしく』ない自分」のことを
自分で認めてあげたくなる日が、たまにあったりするのである。



明日に続く。

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