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容姿に対する「いじり」 1

「イヤミス」という言葉を聞いたことがあるだろうか。「読み終わった後に嫌な気分になるミステリー小説」のことをイヤミスという。Google検索をすれば真っ先に湊かなえさんの名前が上がるくらいには、湊さんの作品には「イヤミス」が多いとされている。

この小説もまちがいなく「イヤミス」だとは思うが、考えさせられることがいくつもあった、という意味で読んでよかった小説だと思っている。

湊かなえさんの「カケラ」という小説。この本はずっと一人称で書かれている。美容整形外科で医師をしている橘 久乃という女性に向けて様々な人物が過去のことを話すのだ。橘は、故郷の同級生・八重子の娘が亡くなったことを知る。大量のドーナツに囲まれて自殺したその娘に何があったのか、様々な人間の話を元にして橘は真実を突き止めていくのだ。。

このミステリー小説の1つのテーマは“美容整形”であり、実際に橘の元に話をしに来る女性の中には、鼻を高くするという整形手術をしたり、脂肪吸引をしたりという人たちがいる。
一旦聞いておきたいのは、このnoteを読んでいるあなたは「美容整形」には賛成だろうか?それとも反対だろうか?

私の答えは、「美容整形は個人の自由」だ。多分この考えはずっと変わらない。人がどの程度自分の容姿にコンプレックスを持っているかなんて、他者にはなかなかわからないだろう。そして見た目に関するコンプレックスは、なかなか理解してもらえないだろう。自分にとっては深刻なことでも、他者にとっては大したことではない....なんていうのはよくあることだ。コンプレックスの深刻さなんて、きっと本人にしか分からない。親しい友達や恋人にも、案外コンプレックス.....特に見た目については打ち明けづらい部分もあるのではないかと思う。


顔を整形するということは、「親が産んでくれた顔を変えてしまう」ということだし、もちろん美容整形にはそれなりのお金もかかる。だからこそ個人が自由に決めれば良いのだ。その自由には、間違いなく「責任」が伴うのだから。
美容整形を受け入れてくれる家族はいないかにもしれないし、昔馴染みの同級生にはもう会えないかもしれない。会えたとしても、「顔、整形したんだね」、「もしかして顔変わった?」と言われて、誰しもが肯定的な視線を向けてくれるなんてことはないだろう。そこにあるのは、「好奇」の目ばかりかもしれない。


私の友達でも何人か整形している人がいる。多いのは一重を二重にしている人。涙袋を作っている人、だ。私は友達に「顔にメスを入れたんだよね」と言われても特に何も思わない、「見せてよ〜」と近くで見るくらいだろう。手術をするまでにきっとその人だってある程度は悩んだのだろう。その決断を肯定も否定もしないで、相手の一部だと思って受け入れる。これは私が友達にできることの中の、ある種の礼儀」のようなものだと思っている。「容姿」に対する価値観はバラバラだが、バラバラだからこそ相手の容姿には触れるべきではないのではないかと思うことがある。



「痩せてることが素晴らしい」という主義

この本には「デブ」や「ブス」といった言葉がよく出てくる。本当に気分が悪くなる人がいるだろうし、男性はかなり読みづらい(というか理解しづらい)部分があるんじゃないかとも思う。

実際、「太っている」ことがマイナスイメージになって集団から疎外されている人を、何人も見たことがある。女子は特に見た目重視のスクールカーストが出来上がることは多いし、「太っている」ということがイメージダウンに繋がることは少なくないのだろう。

どうして多くの人は、「太っていることは悪いことだ」と、決めつけてしまうのだろう。


男子は太っている女子のことをすぐに「デブ」呼ばわりしてからかったりもする。それは「嫌がらせ」ではなく「いじり」だと思ってやっているのかもしれないが、それを「いじり」だと受け止められる人は、本当にそんなにいるのだろうか。


いじりっていうのは、いじられた側に徳がないと、そう呼んじゃいけないの。いじった側がおもしろいことを言ってやったって悦に入ってるだけなら、それはいじめ。自分の気分を良くするために、他人の尊厳を踏みにじってるんだから、そう認定して当然でしょう?でもね、そんなふうに責めたら、何て言い返すとおもう?
(中略)
———本当のことを言っただけなのに。
そう言うの。

(242ページから243ページにかけて引用)

「いじり」と「いやがらせ」の違いはなんだろうか。私は「相手が嫌だと思っているか否か」だと思っていたが、「いじられた側に徳がないと」それは「いじり」ではない、と言う考え方になんだかハッとさせられた。
「いじる」ことを否定するわけではないけれど、いじられる側にメリットがあるかどうかなんで、まるで気にしたことがなかった。(自分はどちらかといえばいじる側ではなくいじられる(ふりをする)側だったけれど。)

だが責め立てられた加害者が急に被害者ぶるようになるのは、すごくすごく嫌いだ。さっきまで他人の見た目を指摘しておもしろがって、相手の存在だけではなく相手の家族のことまで貶めていたかもしれないのに。
「事実なんだからしょうがない」とか言って、急に開き直るのは「バカ」の印だと思っている。あんたたち、口にしてはいけないことがあるって、教えてくれる人は周りにいなかったの??未熟だね。
「人のことをバカって言えるあなたも未熟だね」と言われそうだが、あまりに愚かな人間のことを形容するのにちょうど良い言葉は、「バカ」だと思ってしまったのだ。この本を読んでいたら。




必要以上に自分の容姿を、見た目を、気にしなければいけない今の世界

今生きている世界はそういう世界だ。自分が自分の容姿に無頓着であろうとしても、周りはそれを許してはくれない。ある程度身なりを整えることや、男性がネクタイを締めることや、女性が化粧をすることは、最低限の生活する上での「マナー」なのかもしれない。もちろんそれはわかる。

だが容姿は自分の力では変えられない部分がほとんどだ。毎日筋トレをしていれば多少はお腹が引き締まるかもしれない。牛乳を飲んで爪先立ちで歩いていれば身長が伸びるかもしれない。小顔ローラーを毎日やれば多少は顔が小さくなるかもしれない。
でもほとんどの部分がそう簡単には変えられないのだ。なのに人は容姿について指摘する。見た目に関して何らかの感想を持つ。それを口に出して言う。容姿で人を判断する。

YouTubeから"そういう"広告が消えなかったり、Instagramの投稿で「胸が簡単に大きくなる」「簡単に小顔になる」「すぐに効果が出るダイエット」なんていうのが尽きないのも、自分の容姿をどうにかしなければ自己肯定感を得られない人、見た目をどうにかしなければ人間関係がうまくいかない人、が多いからだろう。


他者を外見で判断する人がいなくなる、そんな理想の世界は、どこにもない。そういう判断をする人がいる限り、必要以上に見た目を気にしなければならない人.....必要以上に「痩せなければ」と考える人......はいなくならないのだろう。




この感想はきっととても長い。あと何日続くだろうか。




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