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人生が100秒だったら: 9秒目

世界はいつから古くなったのだろう


小学生の頃、毎年6〜7cm身長が伸びていた。
9歳の時、計算をしてみた。1年で6cmとすると、2年で12cm、5年で30cm、10年で60cm、60年で360cm伸びることになる。今の身長は133cmだから、、、ちょっと待ってよ。

私は担任の先生のところへ走った。
古川先生、大変です!
計算したら、私の身長、19歳で193cm、69歳になると493cmになるんだけど、、

私の顔をじいっと見た先生は言った。
「緑さん、落ち着いて。先生を見てください。」
あっ、先生そんなに大きくない、、
「他の大人も見てください。」

ふざけたのではない。私は真面目な顔をしていたし、実際、真面目な質問だった。

あの頃は毎日、遊びも勉強も友達も、何もかも「新しいこと」だらけ。1歳、また1歳と、歳を取るのが待ち遠しくって仕方なかった。毎年毎年、楽しいことはやってくると、信じて疑わなかった。身長が伸びるのと同じくらい早く、同じくらい次から次へ。

そもそも9歳の私の世界に「不可能」は存在していなかった。憧れの忍者になることだってできると信じて疑わなかった。毎日数センチ伸びる木(麻の苗木)を飛び越える訓練を地道に続けて行けば、木が数メートルの高さになった時も飛び越えることができるという「忍者になる方法」のなんたる説得力。

時々不思議になる。世界はいつから古くなったのだろう。真面目な質問だ。

暗くなって見えなくなるまでボールを追いかけて遊んだ原っぱ。小指の爪ほどの桜貝を夢中になって拾った砂浜。折れた色鉛筆の芯を集めてうっとりと眺めていたガラス瓶。空き缶に穴を開け、パン屑を入れてグッピーを捕まえた小川。早起きして子犬とジャレあった裏庭。

あの頃、時間はどこにでも、たっぷりあった。
締め切りもなかった。人と比べたりしなかった。
目の前のボールと、桜貝と、色鉛筆の芯と、グッピーと、子犬だけを見ていた。年収も、時給も、仕事も、なんにも無かったけど世界は新品で、それだけで私はシアワセだった。

時々不思議になる。
いつから私は、時間の中に色んなものを詰めるようになったのだろう。スーパーの大売り出し「玉ねぎひと袋詰め放題¥500」みたいにひとつでも多くちょっとでも早くと、人と先を争って。能率という名前の自分の尻尾を追いかけて。それはゲームなのだろうか。人に勝つことが楽しいのだろうか。

時々、目が覚めるように気づくことがある。
世界が古くなったのではない。私が古くなったのだって。世界を古くしているのは、私なんだって。

PS:
あの頃の計算式で言うと今年、私の身長は481cm。
5メートルの木だって楽勝で飛び越えられるのだから、忍者になるのだって夢じゃあない。


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