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『自分を失ってから、自分を取り戻すまで』

『自分を失ってしまってから、自分を取り戻すまでに』どれだけ時間がかかったんだろう。

小学生、中学生の頃は、自分が自分らしく居られて、人に気を遣うことなく話したり、遊んだり、ご飯を食べたりしていたのは覚えている。
子供だから人に気を遣うことが出来ないのは当たり前なのかもしれないし、子供は自分の感情のままに、後先考えず行動することで成長しているのかもしれない。


なのに、いつのまにか自分が誰なのか分からなくなっていた。。。


高専に入学する時には、まだ自分があったが、卒業する頃には、自分を失っていたのかもしれないと、今では思う。

高専で新しい友達もできて、部活にも入って楽しい毎日を過ごしていたはずなのに、どこかで自分らしさをだしたら一人ぼっちになってしまうと無意識の内に考えてしまっていたんだと思う。

2年生になれば、学校生活を共にする時間が増えているから、気を遣わなくなったり仲良しになったり、冗談を言ったりして、1年生の頃よりも楽しい環境になっていたのは間違いない。

でも、その良い面とは反対に、悪い面も見えて来る。


高専には、寮で生活している生徒(寮生)と、通学している生徒(通生)がいる。当たり前かもしれないが、時間を共にする時間が長い方が関係も深くなるから、寮生は寮生と仲良くなり、通生は通生と仲良くなっていき、クラスの中でも、寮生と通生という2つの派閥みたいなのが出来ていた。

寮生はクラスの中でも、活発に発言したりする方ではなく、しっぽり学校生活を送っている人が多かった。その反対に通生は、野球部など活発な人が多く、面白いことをしてムードメーカーになったり、クラスを盛り上げることが多かった。

僕は通生だから、通生の派閥に入っていることが多かったが、活発に発言したり盛り上げ役になったりする性格ではなかったから、盛り上げている人を見てただ笑っていることがほとんどだった。

盛り上げ役の中でも、いじられ役の人がいて、毎日いじられてクラスのみんなを笑わしていた。
しかし、3年生の頃になった時に、そのいじられ役の人が、

『自分はいじられるような性格ではなく、今まで自分を偽っていた』

と言っていじられることを拒否した。


その時から、そのいじられ役の人は、通生の派閥の中から消えて、寮生側の友達と生活するようになっていった。その時に、『人ってこんなにも自分を偽ることができるんだ』って感情がうまれてしまった。


いじられ役人がいなくなると、他の人をいじるようになるのが、学生の悪いところなのかもしれない。すぐに、次のいじられ役が出来た。

その人は、いじられることは楽しそうで笑っていた。いじる側の人も楽しそうに盛り上げていたんだけど、いつの頃からか、裏で悪口を言う人がおおくなっていった。

休み時間には仲良く楽しそうに笑っているのに、学校終わりやテスト習慣の時に、そのいじられ役の人が帰った瞬間から、悪口や陰口が溢れるようにでてくる時間になる。

『あんなに楽しく話していたのに、裏ではこんなことを考えていたんだ』


僕は、人の表と裏の顔の違いの怖さを感じたんだと思う。
頭では、理解できていないけど、感覚的にこんなことをしたら、裏で悪口をいわれる、自分らしさを出してみんなと違う意見を出したら裏で悪口を言われるなど、嫌われて一人ぼっちになってしまう不安がめちゃくちゃ大きくなっていったんだと思う。

『一人ぼっちになりたくない』

少しづつ人に合わせることが大きくなり、自分の気持ちを表に出すことがなくなっていった。

人に合わせていれば、批判されることもなく平穏に学校生活を送ることができると思っていた。5年生までは、友達の輪から外れることなく生活出来ていた。


しかし、5年生のある時、小学生の頃からの友達に言われた言葉が心に刺さった。

『なんでも笑っているから、サクラみたい』

サクラって言葉をしっているだろうか。
特定の場面や公演全体を盛り上げたり、商品の売れ行きが良い雰囲気を作り出したりする者を指す隠語。 当て字で偽客とも書く。

その言葉を言われた瞬間も笑っていた。


でも、『偽物』なんだ。。。

いてもいなくてもいい存在。。。

たぶん、いなくなっても誰も困らない存在。。。


その瞬間に、
自分を失ってしまい、自分がだれなのかわからなくなってしまっていたことに気が付いたのかもしれない。


高専を卒業後に、就職した。
社会人としての振る舞いや、自己紹介、自分の意見を求められることが多くなるが、自分を失ってしまっていた僕にとっては、とても辛いことだった。自分の意見を言う時も、聴いている人がどう思うだろう、こう言ったら反発されるかなと思うと、当たり障りのない意見しか出せなくなっていた。


そんな時に、聴いた言葉が僕が自分らしさを取り戻すきっかけとなった。

『人の意見は一つの考え方で正解ではないように、自分の考えも一つの考え方にすぎない』

この言葉を聞いた時に、「自分の言葉が誰かに否定されることは当たり前のことだから、自分らしさ出すことを恐れる必要はないよ」って言ってもらっているように感じた。

その言葉を聞いてからすぐに変われたわけではないが、仕事で上司に業務の方向性を説明していて、言いたいことがあるけど迷っている時に、心の中で、『言え、言え、言え、言え』と自分で自分を鼓舞していた。

否定さることもあったが、自分の言葉で自分の考えている思いを伝えられたことの方が嬉しかったし達成感もあった。「自分らしさをだせた」と一歩づつ自分が自分を取り戻すことに進んでいることが実感できた。

20歳で就職し、現在は29歳。
今では、自分の考えを上司に伝え反発されても、その反発に対して、自分の意見を伝えることができている。

私生活でも自分の好きなことや、大切な人と過ごすことが楽しくて、幸せな毎日を送ることができている。

完璧に自分らしさを出せているわけではないから、これからも、
『人の意見は一つの考え方で正解ではないように、自分の考えも一つの考え方にすぎない』

という言葉を心に置き、一歩一歩前に進んでいきます。


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