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哲学論考

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#理解

自己啓発本について(自己啓発本が嫌い)

自己啓発本について(自己啓発本が嫌い)

 自己啓発本を読む目的は何か。それは言ってしまえば、賢くなるためだろう。だがしかし、人が教え込んでそうして伝わるものは、その個人が受け取り吸収できうるものはどれ程だろう。私の自説では50%もないだろう。まあこれは言うまでもなくひどい数字である。
 ではなぜそうなのか。それはまさしく[人の意見]でしかないからである。すなわち、[個人特有の経験や思考とは異なった意見]でしかないからである。してみれば、

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(その4)知性改善論(知的認識と純粋認識について)

(その4)知性改善論(知的認識と純粋認識について)

 我々の認識の内には明らかに「教えられることなく認識できている」認識がある。例えば、「物体の存在」や「自分の認識」や「人間を同種と考えることで彼らと自分の間には普遍性があるという認識」、これらは絶対教えることができないが我々は認識できている。(ちなみに三つ目についてなのだが、実際我々はいちいち他人がどうこうなどいうことは教わらないし、のみならず仮に教えたとしても、または経験したとしてもそれは再確認

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分かるとは何か。(無経験的純粋性における)

分かるとは何か。(無経験的純粋性における)

 人間は偶然性を必然性へと移行させることで分かるのである。詳しくは人間には生来万物に対する概念(無経験的)というのがあって、(根拠として、仮に人間が全てを経験によって認識または形作っているのであれば、経験とは疑いようなくそれでない何かを最初は必ず用いているはずであるからつまりは、そもそも経験するためには経験以外の何かしらがなくてはいけないからであるから、人間はアプリオリ的概念及び認識を元来有してい

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(その1)論理性序論。(説明の本質に対する若干の考察)

(その1)論理性序論。(説明の本質に対する若干の考察)

 論理においてまず重要なのは、「個々の事象を根幹から理解した上で、それらは何において、何をもってそれらと関連しているのか明確に把握すること」だと思う。というのも、実のところ全ての事象というのには必ず、「ある共通の何かしらの前提があって、そしてそれこそが一つの事象から演繹的(えんえきてき)に次の論へと移行して最終的に論全体を構築するから」である。つまり、まずそういった「論理の根底を成し、そしてなおか

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