bureauMUZINA(むじなじむしょ)

むじなはタヌキです。都内でむじな達が集まって哲学や文学を研究するbureauから、あれ…

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むじなはタヌキです。都内でむじな達が集まって哲学や文学を研究するbureauから、あれこれお送りするページです。どうぞよろしくお願いします。

記事一覧

韓国ドラマを観ました。

 イ・ジョンソクさん主演のドラマ「ビッグマウス」を観ました。面白かったです。はじめはコメディーなのかなと思ってみ始めたのですが、刑務所を主要舞台とするピカレスク…

地球儀について

 新所沢でThe Boy and the Heronの三回目の鑑賞。やはり、主題歌の「地球儀」に込められた米津玄師さんの丹誠が心に響いた。この曲の作詞が、たぶん難解である本作の芯を…

映画感想「アンダーカレント」

 新所沢で『ミステリと言う勿れ』を観て、そのまま新宿に移動しました。インバウンドで外国からいらした方々が多く見受けられます。今日も、そば屋で困っていた方に「Engl…

映画感想 The Boy and the Heron 

 新宿東口で献血をした休憩を兼ねて、バルト9で、宮﨑駿監督の「君たちはどう生きるのか」を観てきた。公開当初に一回観ているので、これで二回観たことになる。  初回…

映画感想「658㎞、陽子の旅」

 旅は人生を写し、人生は旅に現われる。熊切和嘉監督の『658㎞、陽子の旅』を新宿の映画館で観た。主人公の工藤陽子を菊地凛子氏が演じる。 陽子は就職氷河期を経験した42…

『確実性について』を読んでいきます。

ウィトゲンシュタインの『確実性について』を読んでいきます。

映画感想 是枝裕和「怪物」

 どうして、この世では視点(パースペクティヴ)が一つに固定されているのだろうか。生きがたい。もしも、生まれ変わって、相手の視点も同時に観られたなら、こんな誤解は…

クワス算という「演算」

 言語の規範について考えてみたい。  「クワスは、グルーと同じように、われわれの行為空間の内には存在しない概念であるが、しかし、われわれはクワスの定義を理解で…

歌集感想:今井恵子『白昼』

 今井恵子氏の『白昼』は二〇〇一年に上梓された。この年の九月には9・11テロ事件があり、二十年後の現在から見ると世界の政治地図が塗り替わっていくターニングポイン…

今井恵子『白昼』の一首

   国道の長距離トラック招きいれ水ひかる春のガソリンスタンド                            『白昼』p.58  今井恵子氏の2001年…

ウィトゲンシュタイン全集を購入しました。

事務所にウィトゲンシュタイン全集が届いたので、その撮影です。

晴れの木曜日

雨の木曜日は窓辺に座って庭を眺めてをりました。 てんてろてんてろ、ちんちりろん。 雨音きこえておりました。 あれから十年日が経って、ともだちたくさんできました。 く…

もと来た道へ戻りゆけ

人馬ともに生くる代のあり騎乗前少年は若駒へ立礼せり 少年は落ちては鞍へ手を掛くる若駒は回る馬事公苑に はじまりの光りも冷えもこねしめて朝の厨にパン生地生るる Yo…

想起とわれわれの唯我論・その②

何かを想起するとはいったいどのような事態なのであろうか。そこは言語と知覚が交差する複雑な哲学の係争地帯であるが、絡み合った問題を解きほぐす切っ掛けを、つぎのベ…

佐佐木幸綱『群黎』から短歌鑑賞

     男歌の系譜ここにて断たれたり人呼んでわれは男歌男  「現代」において「男歌」とは何であろうか。  令和の日本という「現代」は、ジェンダーが捉え返される…

想起と唯我論

 言葉を使うことは、つねにすでに、想起することであろう。われわれ人間は何らかの記憶をもっている。そして、何らかの記憶を想起するその活動はどうしたって、この私にお…

韓国ドラマを観ました。

韓国ドラマを観ました。

 イ・ジョンソクさん主演のドラマ「ビッグマウス」を観ました。面白かったです。はじめはコメディーなのかなと思ってみ始めたのですが、刑務所を主要舞台とするピカレスクものへと急展開して、はらはらしながら観ました。まったくリアリティーのない話とも言われそうですが、それでも面白みがあるということは、そうだからこそ、描かれている階層分断社会が現代アジアのリアルな問題なのだとも感じました。

地球儀について

地球儀について

 新所沢でThe Boy and the Heronの三回目の鑑賞。やはり、主題歌の「地球儀」に込められた米津玄師さんの丹誠が心に響いた。この曲の作詞が、たぶん難解である本作の芯を的確に象徴している。そこに打ち震える感動を覚える。
 そこで帰途、電車に乗りながら、この曲はどんな経緯で制作されたものであろうかと、スマートフォーンで検索してみる。すると、「音楽ナタリー」でのインタビュー記事を見つけた。

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映画感想「アンダーカレント」

 新所沢で『ミステリと言う勿れ』を観て、そのまま新宿に移動しました。インバウンドで外国からいらした方々が多く見受けられます。今日も、そば屋で困っていた方に「English, OK?」と声を掛けられ、「リトル」とかって答えて、ビールとえび天の購入方法をご指南さしあげておりました。観光立国日本になっております。
 バルト9に入り、これからちょうど上映するものを観ようということで、上映表を見ていたら、「

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映画感想 The Boy and the Heron 

 新宿東口で献血をした休憩を兼ねて、バルト9で、宮﨑駿監督の「君たちはどう生きるのか」を観てきた。公開当初に一回観ているので、これで二回観たことになる。
 初回は頭では凄い映画だとわかるけど心がそれほど動かなかった。が、二回目はとても感動した。主人公の真人がこれから暮す疎開先の部屋にとおされて疲れて眠りくずれる辺りから涙が止まらなかった。そこで、少し感想を書き留めておこうと思う。
 ストーリーは、

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映画感想「658㎞、陽子の旅」

映画感想「658㎞、陽子の旅」

 旅は人生を写し、人生は旅に現われる。熊切和嘉監督の『658㎞、陽子の旅』を新宿の映画館で観た。主人公の工藤陽子を菊地凛子氏が演じる。
陽子は就職氷河期を経験した42歳。青森の実家から18歳のとき父の反対を押し切って上京して以来、20年以上、父には会っていない。それでも、出棺に立ち会うように促され、青森までの658㎞を旅するというロードムービーである。旅でのおおくの人々の出会いを通じて陽子は成長す

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映画感想 是枝裕和「怪物」

映画感想 是枝裕和「怪物」

 どうして、この世では視点(パースペクティヴ)が一つに固定されているのだろうか。生きがたい。もしも、生まれ変わって、相手の視点も同時に観られたなら、こんな誤解はないのだろうに。でも、そんな生物は怪物かもしれない。或いは、私たちがすでに怪物か。
 是枝裕和監督の最新作「怪物」は、少年たちの成長を丹念に描いた、それでいて鑑賞者に謎を持ち帰らせる物語だ。舞台は現代、諏訪湖のほとりの小学校。主人公の湊は、

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クワス算という「演算」

 言語の規範について考えてみたい。

 「クワスは、グルーと同じように、われわれの行為空間の内には存在しない概念であるが、しかし、われわれはクワスの定義を理解できる。それはすなわち、クワスがわれわれの論理空間の内にあるということである。」
(野矢茂樹『語りえぬものを語る』2011年版p.254)

 ここに「クワス」と呼ばれているのは、先ごろ逝去されたアメリカの哲学者S.クリプキがウィトゲンシ

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歌集感想:今井恵子『白昼』

 今井恵子氏の『白昼』は二〇〇一年に上梓された。この年の九月には9・11テロ事件があり、二十年後の現在から見ると世界の政治地図が塗り替わっていくターニングポイントになった年である。九十年代からこの時期、歌人はどんな日常心象に身を置いていたのであろうか。

 カレンダーいちまい剝がす午前二時あすは古着をぜんぶ捨てよう
 わたしはと書き出す文がいつまでも述語を呼ばないような関係
 銭湯へゆくとき通る

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今井恵子『白昼』の一首

   国道の長距離トラック招きいれ水ひかる春のガソリンスタンド
                           『白昼』p.58


 今井恵子氏の2001年の歌集『白昼』からの一首。当時、今井氏は計算すると48歳ということになるから、この歌は現在の私の年齢よりも若い時代の作ということになろう。
 このような情景は昭和の終りから平成の始めの頃、地方都市の至るところに散見された。今からみると

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ウィトゲンシュタイン全集を購入しました。

事務所にウィトゲンシュタイン全集が届いたので、その撮影です。

晴れの木曜日

雨の木曜日は窓辺に座って庭を眺めてをりました。
てんてろてんてろ、ちんちりろん。
雨音きこえておりました。
あれから十年日が経って、ともだちたくさんできました。
くまに、きりんに、うまとかかえる。
今日はたぬきが来たけれど、今いるともだちを大事に暮らそう、そう思う。
今日は晴れの木曜日。

もと来た道へ戻りゆけ

人馬ともに生くる代のあり騎乗前少年は若駒へ立礼せり

少年は落ちては鞍へ手を掛くる若駒は回る馬事公苑に

はじまりの光りも冷えもこねしめて朝の厨にパン生地生るる

YoutubeからCharlie Parkerをパン生地は一曲聴いてはぷくつと育つ

冬近きオウブンの中のみ悲しみ知らず紅葉のいろにパンは香るや

一日をはじむるために身をおこしパンなどを焼き身を養へり

あきらめて諦めきれず残つたもの

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想起とわれわれの唯我論・その②

何かを想起するとはいったいどのような事態なのであろうか。そこは言語と知覚が交差する複雑な哲学の係争地帯であるが、絡み合った問題を解きほぐす切っ掛けを、つぎのベルグソンの言葉は与えてくれるように思える。

「私にとって、現在の瞬間とは何か。時間に固有の本質とは、流れるということである。すでに流れた時間は過去であり、流れている瞬間をわれわれは現在と呼ぶ。しかし、ここでは数学的瞬間は問題になりえな

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佐佐木幸綱『群黎』から短歌鑑賞

     男歌の系譜ここにて断たれたり人呼んでわれは男歌男

 「現代」において「男歌」とは何であろうか。
 令和の日本という「現代」は、ジェンダーが捉え返される時代であると言えよう。例えば、小学生のランドセルに多様な色が現れて久しい。役所で記入する公的書類から性別欄が消えた。文壇では「女流作家」「女流文学」という言葉が批判された。この流れの中で、「男歌」とは何なのか。「男歌」は後述するように短

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想起と唯我論

 言葉を使うことは、つねにすでに、想起することであろう。われわれ人間は何らかの記憶をもっている。そして、何らかの記憶を想起するその活動はどうしたって、この私において起こる。
(つまり、たとえ他人の記憶内容をなぜか想起してしまったとしても、その記憶が私に想起されたならば、それは私の記憶なのである。ただその場合は何らかの疾患として処理されるだけの話で、想起の本質には変わりがない。)
 そして、言葉を使

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