今井恵子『白昼』の一首

   国道の長距離トラック招きいれ水ひかる春のガソリンスタンド
                           『白昼』p.58
 

 今井恵子氏の2001年の歌集『白昼』からの一首。当時、今井氏は計算すると48歳ということになるから、この歌は現在の私の年齢よりも若い時代の作ということになろう。
 このような情景は昭和の終りから平成の始めの頃、地方都市の至るところに散見された。今からみると、ある種〈牧歌的〉だったとも振り返りうる風景が一首には真空パックのごとくにとじ込められている。もちろん、その当時においても昭和の田園風景などはもう無くなっており、幹線道路を辿ってどこの地方都市を訪れても、コメリと吉野家としまむらが立ち並び、そのうちイオンモールに集約されていった鋳型で造られたかのような同じ姿の町の景観が広がっていた。それでも、現在とは違っていた。令和の現在、トッラク運送は何回かの法改正と需要の急増によって分単位まで中央制御されている。それに比べれば、嘗ては人の手によって物資が搬送される姿が幹線道路のおちこちで眺めることが可能であった。その燃料補給の舞台がガソリンスタンドであった。〈日本の輸送を支える人に笑顔のサービス〉式のテレビコマーシャルが嘗ては流れていたような気がする。そして、いつの間にかそのようなテレビコマーシャルすらも見られなくなった。さらには現実の幹線道路沿いには、ガソリンスタンドそのものが激減しているし、あったとしても、あじけない「セルフ」の文字が遠くからも見える大きな看板が掲げられるような代物になった。そこには、車体を「招きいれ」てくれるような青年スタッフの姿は消えつつある。無人のスタンドに車をナビにしたがって止めれば、あとは無言で給油を済ませてその場を去るだけになった。自販機で買った冷水の味はわかっても、それを買ったのがどんな場に立つどんな佇まいの四角い鉄であったのかなど記憶に残らないのとまったく同じように、ガソリンスタンドは良きにつけ悪しきにつけ客の記憶に残らない場所になりつつある。
 そう思うと、この歌には大きな車体を動かす人とそれを支える人との、いわば〈絆〉のような人間的な営みが「水ひかる春」の輝きをもって描かれている。そして、令和の現在にそのように一首を読むならば、その人間的な営みが持っていた輝きは、工業立国日本を支えていた曰く言い難い〈絆〉なるものの懐かしく麗しい側面だったとも言えるだろう。それはもう失われて久しい。

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