bureauMUZINA(むじなじむしょ)

むじなはタヌキです。都内でむじな達が集まって哲学や文学を研究するbureauから、あれ…

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むじなはタヌキです。都内でむじな達が集まって哲学や文学を研究するbureauから、あれこれお送りするページです。どうぞよろしくお願いします。

最近の記事

映画感想『蛇の道』

 新宿で献血をして外に出ると、夏の光りが強く照っていたので、体を休めるためにピカデリーに入りました。ちょうど、黒沢清監督の最新作『蛇の道』が上映される時間になっていたので、すぐにチケットを購入してスクリーンの前に座り込みました。  『蛇の道』は、娘を失った男の復讐に協力する心療内科医、新島小夜子(柴咲コウ)を主人公とするサイコサスペンスだ。黒沢監督が嘗て撮った同名作品のセルフリメイクでもある。  さて、ここからは、映画の紹介ではなく、私の感想を述べてみようと思います。です

    • 『若い読者のための科学史』

       ランドリーを回している待ち時間に図書館に行って手にした本です。  14章は、デカルトとベーコンのことについて書いてあります。デカルトは1619年11月10日、ノイトブルクの炉部屋で二つのことを結論するに至ったのだと著者は書いています。一つは、確実な知識をえるためには、もう一度いちから自分でやりなおさないといけないこと。二つは、そのための方法は疑うことなのだということ。  この二つをもう一度考えてみると面白い。たとえば、〈さがす〉という方法も候補になりえたのではないでしょ

      • 韓国ドラマを観ました。

         イ・ジョンソクさん主演のドラマ「ビッグマウス」を観ました。面白かったです。はじめはコメディーなのかなと思ってみ始めたのですが、刑務所を主要舞台とするピカレスクものへと急展開して、はらはらしながら観ました。まったくリアリティーのない話とも言われそうですが、それでも面白みがあるということは、そうだからこそ、描かれている階層分断社会が現代アジアのリアルな問題なのだとも感じました。

        • 地球儀について

           新所沢でThe Boy and the Heronの三回目の鑑賞。やはり、主題歌の「地球儀」に込められた米津玄師さんの丹誠が心に響いた。この曲の作詞が、たぶん難解である本作の芯を的確に象徴している。そこに打ち震える感動を覚える。  そこで帰途、電車に乗りながら、この曲はどんな経緯で制作されたものであろうかと、スマートフォーンで検索してみる。すると、「音楽ナタリー」でのインタビュー記事を見つけた。  完成まで四年かかったこと。米津さん自身が少年時代から宮崎映画に救われながら生

          映画感想「アンダーカレント」

           新所沢で『ミステリと言う勿れ』を観て、そのまま新宿に移動しました。インバウンドで外国からいらした方々が多く見受けられます。今日も、そば屋で困っていた方に「English, OK?」と声を掛けられ、「リトル」とかって答えて、ビールとえび天の購入方法をご指南さしあげておりました。観光立国日本になっております。  バルト9に入り、これからちょうど上映するものを観ようということで、上映表を見ていたら、「アンダーカレント」という映画がやっていたので、それに決めて観ました。  あとで、

          映画感想「アンダーカレント」

          映画感想 The Boy and the Heron 

           新宿東口で献血をした休憩を兼ねて、バルト9で、宮﨑駿監督の「君たちはどう生きるのか」を観てきた。公開当初に一回観ているので、これで二回観たことになる。  初回は頭では凄い映画だとわかるけど心がそれほど動かなかった。が、二回目はとても感動した。主人公の真人がこれから暮す疎開先の部屋にとおされて疲れて眠りくずれる辺りから涙が止まらなかった。そこで、少し感想を書き留めておこうと思う。  ストーリーは、太平洋戦争の最中の日本を舞台にして、母を火事で失った少年(真人)が父と共に疎開先

          映画感想 The Boy and the Heron 

          映画感想「658㎞、陽子の旅」

           旅は人生を写し、人生は旅に現われる。熊切和嘉監督の『658㎞、陽子の旅』を新宿の映画館で観た。主人公の工藤陽子を菊地凛子氏が演じる。 陽子は就職氷河期を経験した42歳。青森の実家から18歳のとき父の反対を押し切って上京して以来、20年以上、父には会っていない。それでも、出棺に立ち会うように促され、青森までの658㎞を旅するというロードムービーである。旅でのおおくの人々の出会いを通じて陽子は成長する。一人の人間が感情を揺さぶられることで、その声を取り戻すまでの物語だ。ストーリ

          映画感想「658㎞、陽子の旅」

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          『確実性について』を読んでいきます。

          ウィトゲンシュタインの『確実性について』を読んでいきます。

          『確実性について』を読んでいきます。

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          映画感想 是枝裕和「怪物」

           どうして、この世では視点(パースペクティヴ)が一つに固定されているのだろうか。生きがたい。もしも、生まれ変わって、相手の視点も同時に観られたなら、こんな誤解はないのだろうに。でも、そんな生物は怪物かもしれない。或いは、私たちがすでに怪物か。  是枝裕和監督の最新作「怪物」は、少年たちの成長を丹念に描いた、それでいて鑑賞者に謎を持ち帰らせる物語だ。舞台は現代、諏訪湖のほとりの小学校。主人公の湊は、いじめられっ子の同級生、依里に魅かれている。二人の間柄は、少年期特有の絆を超える

          映画感想 是枝裕和「怪物」

          クワス算という「演算」

           言語の規範について考えてみたい。  「クワスは、グルーと同じように、われわれの行為空間の内には存在しない概念であるが、しかし、われわれはクワスの定義を理解できる。それはすなわち、クワスがわれわれの論理空間の内にあるということである。」 (野矢茂樹『語りえぬものを語る』2011年版p.254)  ここに「クワス」と呼ばれているのは、先ごろ逝去されたアメリカの哲学者S.クリプキがウィトゲンシュタインの『哲学探究』に想を得て編み出した思考実験的な「演算」である。野矢氏はそ

          クワス算という「演算」

          歌集感想:今井恵子『白昼』

           今井恵子氏の『白昼』は二〇〇一年に上梓された。この年の九月には9・11テロ事件があり、二十年後の現在から見ると世界の政治地図が塗り替わっていくターニングポイントになった年である。九十年代からこの時期、歌人はどんな日常心象に身を置いていたのであろうか。  カレンダーいちまい剝がす午前二時あすは古着をぜんぶ捨てよう  わたしはと書き出す文がいつまでも述語を呼ばないような関係  銭湯へゆくとき通るくらがりに勤勉を誇りて人々ありき  現在の在り方をすべて見直そう、「ぜんぶ捨

          歌集感想:今井恵子『白昼』

          今井恵子『白昼』の一首

             国道の長距離トラック招きいれ水ひかる春のガソリンスタンド                            『白昼』p.58  今井恵子氏の2001年の歌集『白昼』からの一首。当時、今井氏は計算すると48歳ということになるから、この歌は現在の私の年齢よりも若い時代の作ということになろう。  このような情景は昭和の終りから平成の始めの頃、地方都市の至るところに散見された。今からみると、ある種〈牧歌的〉だったとも振り返りうる風景が一首には真空パックのごとくにとじ込

          今井恵子『白昼』の一首

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          ウィトゲンシュタイン全集を購入しました。

          事務所にウィトゲンシュタイン全集が届いたので、その撮影です。

          ウィトゲンシュタイン全集を購入しました。

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          晴れの木曜日

          雨の木曜日は窓辺に座って庭を眺めてをりました。 てんてろてんてろ、ちんちりろん。 雨音きこえておりました。 あれから十年日が経って、ともだちたくさんできました。 くまに、きりんに、うまとかかえる。 今日はたぬきが来たけれど、今いるともだちを大事に暮らそう、そう思う。 今日は晴れの木曜日。

          もと来た道へ戻りゆけ

          人馬ともに生くる代のあり騎乗前少年は若駒へ立礼せり 少年は落ちては鞍へ手を掛くる若駒は回る馬事公苑に はじまりの光りも冷えもこねしめて朝の厨にパン生地生るる YoutubeからCharlie Parkerをパン生地は一曲聴いてはぷくつと育つ 冬近きオウブンの中のみ悲しみ知らず紅葉のいろにパンは香るや 一日をはじむるために身をおこしパンなどを焼き身を養へり あきらめて諦めきれず残つたものと古い旅券の破れの確かさ もと来た道をもどらむ朝日うけてプラットホームに残りて

          もと来た道へ戻りゆけ

          想起とわれわれの唯我論・その②

          何かを想起するとはいったいどのような事態なのであろうか。そこは言語と知覚が交差する複雑な哲学の係争地帯であるが、絡み合った問題を解きほぐす切っ掛けを、つぎのベルグソンの言葉は与えてくれるように思える。 「私にとって、現在の瞬間とは何か。時間に固有の本質とは、流れるということである。すでに流れた時間は過去であり、流れている瞬間をわれわれは現在と呼ぶ。しかし、ここでは数学的瞬間は問題になりえない。確かに、理念的で単に考えられるだけの現在、過去と未来を分けながら、それ自体は

          想起とわれわれの唯我論・その②