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『努力』の定義

努力:目標の実現のため、心身を労してつとめること。ほねをおること。

・努力は必ず報われる
・それは努力が足りないからだよ
・あの子は努力家だから偉いよね

努力と聞いて思い浮かべるイメージは『必死に我慢して耐える』様子。

《楽しそう・嬉しそう・気持ち良さそうな人》を指差して『努力してる』とは言いません。

努力していると言われるのは《しんどそう・退屈そう・辛そうな人》であり、苦痛の度合いが強そうなほど『努力判定』もUPします。

『やりたくない事を仕方なくやり続ける』それが努力の定義です。

自己愛:やりたいことをする

自己愛のある人は自身の才能(素質・資質・性質)に素直です。
向き不向きをふまえ、得意分野の能力を伸ばそうとします。

そういう人は目標に向けた行いを努力とは言いません。
『やりたくてやってること』に過ぎないからです。
楽しい・嬉しい・面白いを追及していたら、自動的に結果がついてくるだけ。

もとから健全な自己評価をもっているので、わざわざ『努力家である』とアピールして他者評価など得る必要もないのです。

ラブレス:やりたくないことをする

劣等感を植えつけられ自信を失うと『ありのままの自分』に不安を抱きます。
才能(素質・資質・性質)を否定され、やりたいことが出来なくなると心が満たされないので、代用となる納得が必要となります。

・やると褒められそう(やらないと叱られそう)
・やってもバカにされなさそう
・皆やってるからやっておこう

行動原理が『〜したい(心)』から『〜すべき(理)』へ差し代わり、
成功している誰かを目標に、自分も同じようになろうと模倣します。

当然、それは本心本音に紐づいていない『恐怖の相殺』にすぎません。
理想的な他人(虚像)を演じ続けるのは単にしんどい・退屈な・辛いことです。

『主体性なき自傷行為、非生産的な苦行』を正当化したい時、
ラブレスはそこに『努力』というラベルをつけます。

そもそも自己評価が低いのに、さらに他者評価までなくしてしまったら、
自分が存在価値のない『いらない子』になってしまいそうで怖いのです。

終わりに

努力家は時間・体力・精神力すべてを捧げ免罪符を請います。

『私』が生きていることを許して貰う為
『私』が自分であることを許して貰う為

それは自己愛を失った恐怖。自己否定の裏返しなのです。

この世界のどこにも『いらない子』はいません。
すべての存在は因果関係によって成り立ち、そこには必然だけがあります。
すべての人は生まれた時からパーフェクトな存在です。

あなたが『あなたらしく生きる』以上に価値のあるものはありません。

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— 思い出して —

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