彼はダンスが「上手い」のか
近年、「芸能人で誰が一番ダンスが上手いか」的な順位付けを目にします。特にジャニーズを中心としたアイドルにおいて。
評価の根拠に客観性がなくランキングに無理を感じますね。CD売上のようにはっきりとした数値が出るわけではないので。結局は単なる個人的な好みによる人気投票。好きな人の踊りは上手く見えるものです。順位付けなんて恣意的で無責任な暇つぶし用の娯楽でしょう。
そもそも「上手い」の定義が一律ではない。踊る人、見る人によって違ってくる。踊る人は当事者として理屈や技術が分かるかもしれないけど、評価するのは見る人だし。
例えば、トシちゃん。私たち世代の感性で今見れば「凄く上手い」と思う。基礎に忠実で華麗な踊り。ただ、若い世代での認知が行き届いていないのか、現役で踊っているのにその名が出てこない傾向にあります。
慎吾ちゃんも、私たち世代から「ダンスが上手かった」とよく言われます。彼の踊りは当時、見る人の度肝を抜きました。だけど今、改めて思いを巡らす。彼はダンスが「上手い」のかと。
慎吾ちゃんの踊りはセオリーよりもダイナミズム。湧き出る「気」を放つがごとく体を思いっきり弾ませ、グワンと大きく動きキュッと止まる。グワンキュッ、グワンキュッ。この力強いメリハリがいわゆる「キレ」なのでしょう。動きに躊躇がない。この点では彼の右に出る人はいないでしょう。
ふっ切れた動きができるのは、自分の思うがままに踊っているから。誰かから「こうしなさい」と指示されたものではないから。元々ストリートダンサーだった慎吾ちゃんはダンスの指導を受けたことがないのです。
正規のレッスンを受けたことがない。だから、「上手さ」を追求した「正しい踊り」を知らないまま、ひたすら自由に踊っていたわけです。
習ったことがないのは、元々仕事として踊るつもりはなかったから。ジャニーズアイドルのように「芸能界で活動するために踊り始めた」のではなく、踊りたいから踊っていた。誰からも踊れなんて言われてない。子供のころから何でもやりたいと思ったことには自ら動く、それが慎吾ちゃんの流儀。
そもそも、ダンスを習う類のものとも思っていませんでした。幼少期からリズムに乗るのが好きで、思春期に原宿ホコ天やダンス映画に憧れ自ら好きにやってきたことでした。
やりたいことは言われなくてもやる。やりたくなければやらない。踊るのは彼にとって自発的な行為だから、人から言われてすることはないのです。
感じたまま自由に踊り、感情を表出させる。ストリートダンスの真髄。
慎吾ちゃんは、仮に「この曲で踊りなさい」と言われても、気に入らなければやらない。どうしても踊らなければならないなら、自分で曲を用意する。当然「こういうふうに踊りなさい」と言われてもやらない。他のダンサーとシンクロする踊りやフォーメーションダンス、つまり「合わせる、揃える」ダンスはしない。やる気もないし、できない。他の人が歌うのに合わせて踊ったり誰かの曲に振りを付けたりもしない。指導することもない。
ダンサーのSAMさんやTAKAHIROさんも元々はディスコや路上で好きに踊り、独自の世界を創っていました。でも、プロのダンサーになって仕事を受けリクエストに応えるには、ユニバーサルな基礎がないとできない。なのでストリートダンサーとしてのキャリアを積んだあと、バレエやジャズなどで踊りのルールを改めて習ったそうです。仕事として「上手く」踊るためにはそうする必要があるから。
慎吾ちゃんは「上手く」踊ろうとはしませんでした。
もちろん、いい踊りをしようと努めていましたが、目指していたのは「上手い」踊りではなかったのです。
彼が追求するものは「願い」の中にありました。
自分はどうしたい? 何をしたい? 自分の奥の声に耳を澄ませ、直感と情熱を信じて行動する。そうすると自分が想像したものが具現化されていく。
それはとても賢明な働き、高い次元の作用。
彼がやろうとしたのは踊りそのものよりも、踊りを通じて「伝えること」。
そのためには人の心を掴まなければいけない。どんなに上手くても、心揺さぶるものでなければ人を突き動かすことは出来ない。歌でも踊りでも。
自分の気持ちのまま 心のまま
心のままに踊る。「見ろよ、オレはこうだ! さあ、キミはどうだ!」と。「一歩前へ出て己を示してみろよ! キミの想いを、キミの意志を! 」
ダンスの本質をむき出しにする。そうすることで見る人の行動力を駆り立てる。「憧れる」という少年特有の力を。
☆彡
少年は、腕力的な強さだけでなく、賢さに憧れる。慎吾ちゃんの小学生時代の通知表はオール5。国数社理及び体育はもちろん、音楽や図工全てを含むパーフェクト5だった年もあったそう。いつも学年で一番。当然、児童会長に就任。その上、昆虫博士を自称するほどの生き物好き。
慎吾ちゃんはきっと、地元の子供たちの憧れだったでしょう。工夫を凝らした秘密基地を作ったり、新しい遊びを考案したり。自分で考え行動し、あれもやってみる、これもやってみる。そんな姿が少年の探求心を駆り立てる。
慎吾ちゃんは、ダンスの基礎原則は習っていないけれど、高等教育において物理や力学といった時空間の原理法則を修めていました。それを土台とした技の習得や摩訶不思議な動きが、少年少女の知的好奇心を刺激したのだと思います。
慎吾ちゃんのダンスは憧れのダンス。憧れるという心理は、知性を含んだ高次元の精神。
だから、彼の踊りを表現するのに一番相応しい文言は、「上手い」よりも「凄い」よりも、「慎吾ちゃんはダンスが賢い」。
☆彡
あなたの賢さは いつか大人になったときに 自分が得するためではなく
人を幸せにするために使いなさい
2022/11/21