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生でトシちゃんを観た!

ライブに行ったってことです。

私の人生でトシちゃんのライブに行く日が来るとは思っていませんでした。いきさつは後に記すとして、早速感想を。

もうね…、天国にいるような気分でしたよ。ツアーはまだ続くので詳細は書けませんが。いわゆるアイドル時代のおなじみの大ヒット曲から新曲まで、バンドメンバーやバックダンサーたちと繰り広げる夢の世界。観る人を幸せにするパフォーマンス。ああ、これがスターなんだな、と思わせるステージでした。

とにかく踊る踊る、踊りまくる! 汗を飛び散らせながら。御年61歳、と本人が言っていましたが、歌もダンスも全く衰え知らず。この年齢でこれほどのキラキラ感を持つ人なんてこの世に他にいるのかと思うぐらいでした。

前から10列目のど真ん中、トシちゃんの顔も動きも良く見え、数十年にわたる大スターの姿を十分に堪能できました。

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このライブに行く直前、トシちゃんが36年前に綴った書籍を入手して読んでいたのです。なので、25歳のトシちゃんと重ねてステージを観ていました。

ボク、いま、とても幸せだ。コンサートをやれば全国各地、いつもファンが会場いっぱいに集まってくれる。

そこから時代を2回越えた現在も全国ツアーできるなんて、ホント凄い。

その好意に報いるためにも、ボクは永久にアイドルでいるつもりだ。ボクはどんなときだって、常に女の子たちの “気になる存在” でいたいからね。よく25歳ぐらいになると “脱アイドル宣言” とかいうけど、ボクはイヤだ。

いまボクは “大人への脱皮”とか “さらばアイドル” なんていわれているけど、絶対ちがう。アイドル性のもつ華やかさっていうのは、絶対に失いたくない。いつだって輝いていたいし、いつまでも少年みたいな部分は忘れないでいたい。

この時代、この年頃のたいていの男性はアイドル視されるのを好まないものでした。だけど、トシちゃんはアイドルでい続けることにこだわっていたんですね。実力をつけたアイドルになりたいと。

アイドルが軽く見られるのは、実力よりまわりが先行してしまい、それを当人が気づかないで人気に甘んじちゃうからだ。ボクはちょっとちがうぜ。一生アイドルでいるつもりだ。みんな、応援してくれよ、やってやるぜ。

女性がいつまでも心ときめかしてくれるボクでいたいし、ボクもみんなといっしょに、みんなの中で生きたいと思っている。それには、ボクを大切にしてくれる人たち、応援してくれるみんなを絶対失望させないようにがんばっていくしかない。

失望どころか夢の中にいるようでしたよ。ああ、私の青春時代大スター、田原俊彦が令和の今、目の前で歌って踊っているなんて、と。

“ゼッタイ負けないぞ” “いまにみてろ” そう決心したボクの素顔が、またステージの上に立ち、拍手と歓声を受けるというわけだ。これだけボクのこと知っちゃうと、なんだか不安になってしまう人もいると思う。でも、まあ見ててよ。

いつまでもカッコいい田原俊彦でいてみせるから!

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magazine h 1984

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一緒に行ったのは、なんと実母! 母とはトシちゃんの話どころか芸能人の話さえ普段しないのに、数か月前、車の助手席に乗せてたら、唐突に「トシちゃんのコンサートがあるんだって。行きたい?」と言ってくるではないか! 母はコーラスをやっているので催事情報が早いのです。ちょうどその会場付近を走っていたので、じゃあ販売状況を見に行こうとふいにハンドルを切りチケット売り場へ。良い席があったので、そのまま勢いで買ってしまった。

アイドルのライブ経験なんて20年前の聖子ちゃんのアリーナだけ。しかも、年老いた母と行くことになるとは…。母はトシちゃんの曲なんてほとんど知らないのだけど、それでも一生懸命手拍子して曲に乗ってすごくすごく楽しんでいました。「よく踊るね、がんばるね、プロだね、すごいね」としきりに言って。母よ、素晴らしいステージに導いてくれてありがとう!

最終的には、歌って踊って芝居をやって、いままでにない日本のエンターティナーの座にボクがついてやる。だからボクは、一生アイドルだ。
『とびッきり危険』 田原俊彦 集英社 1986年

帰宅後、母は買ったばかりのスマホで親戚のオバちゃんに電話して「まー、良かったよ。あんな(アイドル)の、初めて見た! 歌いっぱなしで踊りっぱなしで、脚が頭まで上がるんよ! トークも面白いし。演奏もバックダンサーも素敵な人ばかり」と、まくし立てるのでした。