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世界中の子供たちが笑顔ですごせますように

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トシちゃんが選んだ道

最近、産経新聞がネットでトシちゃんのインタビュー記事を連載しています。最初にたまたま見つけたのが既に第19回。すごく長い連載なんですね。 この回はトシちゃんが紅白落選したときのエピソード。1987年のこと。以前ここでも書きました。当時、結構話題になりましたね。トシちゃんも相当ショックだったようです。 私も驚きましたが、同時に「さもありなん」という気持ちも正直ありました。トシちゃんが記事でも言っていたように、そのころ人気がパワーダウンしていて曲もあまり世間に浸透しなくなって

    • 慎吾ちゃんは未来系の美男子

      前にも書きましたが、初めてテレビで慎吾ちゃんを見た時、「わ! こんなに若くて爽やかな人なの!」と思ったものでした。 画面で遭遇する前は、お笑い番組の出演者ということでもっと素朴に崩れたルックスの人を想像していたのです。イモ欽トリオの人たちみたいな。 それがなかなかどうして! 私にはたのきんトリオより断然素敵に見えました。あの3人は顔が大きく鼻周りがボテッとした肉厚で好みではなかったのです。特にマッチなんかもう。 今になって思うに、慎吾ちゃんは少女漫画に出てくる初恋相手の

      • 慎吾ちゃん ブレイクダンス制作イヤー

        40年前の1984年は、日本の若者文化に多大な影響を与えた慎吾ちゃんの制作活動が行われた記念すべき年です。    前年出会い、習得したブレイクダンス。それを人々にどう魅せていくか。人々に「わっ」とインパクトを与え影響を及ぼすにはどうしたらいいのか。1984年は年明けにも春先にもコンサートツアーがあったので、慎吾ちゃんは舞台での反応を少しずつ試しながら、観客の心を掴む真のステージングはどうあるべきかを模索していました。 そして出会ったのがハービー・ハンコックの『Rockit

        • トシちゃんのオレ様ダンス

          80年代後半、トシちゃんは「オレ様キャラ」でした。特に88年、曲もドラマも大ヒットしたあたりのころから。 一方、そのころマッチがなぜか世間的に「落ち着いた好青年キャラ」として見られるという不思議な現象が起こっていました。80年代前半はトシちゃんが王子様で、マッチは絶叫系不良キャラだったというのに。 トシちゃんが野心的なキャラになったのは、やはり例の紅白落選が大きな要因だったと思います。「冗談じゃないよ! オレはまだまだこれからだよ」という反発心をエネルギーに、世間に対して

        トシちゃんが選んだ道

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        • 80年代歌謡界と歌謡曲
          32本
        • トシちゃんの信念
          50本
        • 慎吾ちゃんの輝き
          91本
        • ブレイクダンス
          64本
        • 青春と未来と
          25本
        • 少年隊の幻
          17本

        記事

          慎吾ちゃんとアメリカ

          慎吾ちゃんは、当時の若者(1962年生まれ)にしては、幼少時からかなりアメリカに近い人でした。 ロサンゼルスにご親戚がいたのです。スーパーマーケットを経営していらっしゃって、チョコレートなどのお菓子を送ってきてくれるので、慎吾ちゃんはかなり小さいころからアメリカの食べ物や文化に触れていたわけです。 そのお菓子を幼稚園で友だちに売って、お金儲けをしてお母さんに怒れられたんですけどね。お父さんは「見どころのあるヤツ」と褒めたそうですが。 そして、なんといっても小学校5年生の

          慎吾ちゃんとアメリカ

          L・O・V・愛・マイ・ハート

          40年前の今日、トシちゃんと慎吾ちゃんは新曲をリリースしました。 『 エル・オー・ヴィ・愛・N・G 』 映画の主題歌だったんですよね。相手役が多岐川裕美さんだったり網走でロケしたりと奮闘していたようですが、私の周りでは映画を観に行く習慣や文化がなかったので内容も評判も全然知らないのです。 地元市内の映画館で上映されていたことは覚えています。というのも当時、生徒が観に行っていい映画は学校で指定されていて、その中にこの映画があって。それで、先生が映画のタイトルを読み上げる時「

          L・O・V・愛・マイ・ハート

          慎吾ちゃん 中学受験と化粧

          こんなコメントいただくことがあります。「慎吾くんが頭良かったって知らなかった」「化粧していたなんて知らなかった」 そう。頭良かったんですねー、慎吾ちゃんは。小学生のときテストで100点以外取ることはほぼなく、通知表も図工や音楽含めて完全オール5、いつも学年で一番。当然児童会長に就任。 地元じゃ負け知らず magazine h 1984 そして何といっても中学受験。中国地方ナンバーワンの難関、GI校に合格。超進学校で当時は東大に毎年30-40人ぐらい、つまり1クラス8

          慎吾ちゃん 中学受験と化粧

          ダンサーという地位を確立した人間

          懐かしの曲を取り上げるテレビ番組で、慎吾ちゃんの『涙のtake a chance』が紹介されていました。テレビ朝日の番組では必ず取り上げられる映像で、モノトーンのつなぎの衣装でちょっぴり険しい表情で踊るテイク。 今回はわりと長めに扱ってもらえました。ヨハネさんの優雅で鋭いウインドミルや慎吾ちゃんの滑らかムーンウォークもしっかり映ったし。 80年代をリアルタイムで生きていた人にしか分からないことのひとつに、慎吾ちゃんがダンサーとして登場した時の衝撃があります。 本当に、そ

          ダンサーという地位を確立した人間

          慎吾ちゃん いつの間にか大人

          ティーンズ誌の見出しが躍っています。「“週刊欽曜日” でデビューしてから1年。10日10日に21歳の誕生日を迎えた慎吾くんに徹底インタビュー!」 そう、40年前の今日、慎吾ちゃんは21歳になりました。 …って、オイ! 昨日まで19歳だったんじゃないのアータ。というツッコミが40年前の日本中の女の子から入れられまくっていたでしょうね。そう、慎吾ちゃんは20歳を迎えず、一足飛びに21歳になったのサ。 ままま…、いろんなご事情があったのでしょう。芸能界ではよくある話。だけど、

          慎吾ちゃん いつの間にか大人

          風の中に旗をぶっ立ててみたい 独立するということ

          今、芸能界がかつてないほど揺れています。今までの構造が覆されるほどの勢いで。 トシちゃんの独立については過去に何度か書いてきました。巣から独り飛び立とうと決めた若き日の彼を、今改めて清々しく見つめることができます。 与えられた環境の中で仕事をこなしているときにふと、そこから脱し自分を一段高めたい、そう思う日が人には必ず訪れます。そのとき決断できるか。一歩踏み出せるか。 大人の男になるには決断しなければならない、それがトシちゃんの考えでした。 ☆彡 慎吾ちゃんはトシち

          風の中に旗をぶっ立ててみたい 独立するということ

          ブレイクダンサーはブランコ派

          慎吾ちゃんとダンプ松本さんが、ある雑誌のお便りコーナーに届いたハガキを一緒に読んでいると、ある女の子から「友だちの輪に入れずいつもひとりぼっちでさみしい」というお悩み相談がありました。 それを受けて、ダンプ松本さんが「私も子どものころ、“一緒に遊んで” って言えずにひとりでうじうじ悩んでたの」と。で、冒頭の慎吾ちゃんの発言でございます。 そう、慎吾ちゃんはブランコ派。やりたいことをやりたいときにやりたいようにやるのです。団体行動が苦手で、学校でもクラブに入っていませんでし

          ブレイクダンサーはブランコ派

          トシちゃんの1983年夏

          昨夏のトシちゃんライブからかれこれ1年。 前回、慎吾ちゃんの40年前の夏について書いたので、トシちゃんについても書くよん。 リリースした曲は、初夏に『シャワーな気分』、そして40年前の今日『さらば‥夏』。『シャワーな気分』のザ・ベストテン最終ランクインが7月14日で久米宏さんの誕生日。翌月25日には『さらば‥夏』で早々にカムバック。この年、ベストテンではことごとく上位に聖子ちゃんや明菜ちゃんがいてなかなか1位が取れなかったのですが、この曲でやっと聖子ちゃんの『ガラスの林檎

          トシちゃんの1983年夏

          慎吾ちゃんの1983年夏

          40年前の日本の夏は、風見慎吾の夏でした。 学校では彼の話でもちきり。女の子たちは彼のカッコ可愛いルックスに胸をときめかせ、男の子たちは『僕笑っちゃいます』を歌いながらサビのアノ振りを踊っていました。世間では使い勝手のいいこのフレーズが流行りに流行っていました。 曲も大ヒットし、ランキング歌番組にも出演。かのザ・ベストテンには7月7日に初登場。タキシードに身を包み、ミラーゲートの向こうから七夕飾りのスタジオに颯爽と現れました。 溜まり席のソファで TBS 1983 こ

          慎吾ちゃんの1983年夏

          慎吾ちゃん 運命の日

          40年前の今日、歌を歌い始めました。 それが人生を変えました。歌うつもりなんて全くなかったのに。 お笑い番組でテレビデビューしたことよりも、ブレイクダンスを踊ったことよりも、彼の運命を変えたのはレコードを出したことだったのです。 ☆彡 40年後の今日この日、広島から全世界へ、平和への願いが発せられました。

          慎吾ちゃん 運命の日

          息がとまるほどに

          今年トシちゃんを見てなつかしい我が少女時代を思い出したので、ぜひ慎吾ちゃんもということで。 彼はもう数十年も前から「慎吾」ちゃんではないのだけど、私にとってはひらがなではないので、あしからず。 慎吾ちゃん、今年で還暦だとか。 そう、彼はもうオジさん、私もオバさん。 時が過ぎるってそういうことだ。 ☆彡 初めて彼をテレビで見たときのことを思い出す。実は先に名前から知った。 クラスの女子らがワイワイと番組の話をしている。 「コニタンがね、B作さんがね、風見慎吾がね」。

          息がとまるほどに

          彼はダンスが「上手い」のか

          近年、「芸能人で誰が一番ダンスが上手いか」的な順位付けを目にします。特にジャニーズを中心としたアイドルにおいて。 評価の根拠に客観性がなくランキングに無理を感じますね。CD売上のようにはっきりとした数値が出るわけではないので。結局は単なる個人的な好みによる人気投票。好きな人の踊りは上手く見えるものです。順位付けなんて恣意的で無責任な暇つぶし用の娯楽でしょう。 そもそも「上手い」の定義が一律ではない。踊る人、見る人によって違ってくる。踊る人は当事者として理屈や技術が分かるか

          彼はダンスが「上手い」のか