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トシちゃんのダンスキャリア成功のカギ

以前の記事で、慎吾ちゃんが『BEAT ON PANIC』で「夜のヒットスタジオ」に出たとき某ジャニーズからバチバチされた、と書きました。当時私は夜ヒットを見る習慣を持っていなかったのでその放送を観ていませんでしたが、近年になって、慎吾ちゃんがその番組で歌っている映像を観ることができました。数十年越しに視聴できる現代のインターネット文明に感謝です。

そこにはトシちゃんもいました。改めて見ると、慎吾ちゃんは手拍子するトシちゃんの目の前で歌っています。

冒頭からヌンチャクを振り回し、ロンダートから伸身バク宙(未遂)、床に置いてあるマイクに飛びつき高速前転して即歌い出すという、若気の至り感ほとばしりまくり状態。

座っているトシちゃんの前で、「自分はこれが出来るんだけど」と言わんばかりに完全股割り(両足伸ばしきった縦開脚)を見せつけドヤ顔、というかドヤ背中。旋風脚、歌いながらアップロック、バク宙、ウインドミル、バックスピン、曲中に側宙、フットワーク、フリーズで締め。

それを見てトシちゃんはこう思ったことでしょう。

オレは計算してパフォーマンスしよう

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magazine h  1984

これって800メートルを全力疾走しながら歌っているようなもんだと。踊った後命尽きます、みたいな。そんなの、そう何年もできないだろうと。

こんなのを目の当たりにしたおかげで、トシちゃんはその後長きに渡り華麗で余裕のある完成された大人のパフォーマンスしていくことができました。

慎吾ちゃんは、「ブレイク」ダンスでの曲リリースは1年間と決めていたと思います。1985年内までの活動で、翌年からするつもりはありませんでした(ダンス自体をやめるのではなく)。歌うこと自体も、継続的に長く続けるつもりはなかったと思われます。元々歌手ではないので。だから、テレビで歌えるうちに「'歌って踊る' の限界を度外視してやりたいことを全部詰め込んだパフォーマンスをしようとしたのでしょう。歌と踊りの両立妥協点、つまり最適という完成形から逆算した構成ではなく、純粋な積み上げ方式。

真っすぐに突き進む、一か八かの体当たり。捨て身のダンス。

だから見ている方はヒヤヒヤで、この人無事に歌い終えることができるのかと思ったでしょうね。破綻ぎりぎり、というか既に破綻しているのかもしれない。これってパンク、精神として。ヒップホップの方がもっと秩序がある気がする。まぁ、このカオスっぷりが魅力なのですが、歌手としての将来と引き換えでできたことでしょうね…。破滅に向けて命を燃やす。日本ダンスエンタメの革命、というより特攻

英語でいうところの heroic death。

激しさとして『BEAT ON PANIC』を超えられるパフォーマンスは今後もう出ないと思います。普通はきちっと振付担当がいるだろうし、体力と歌唱との折り合いがちゃんと計算されているだろうし、そこまでアクロバティックじゃないし、放送事故怖いから周りも止めるだろうし、歌い手の芸能活動の将来もあるし。なによりソロが今ほとんどいないし。

慎吾ちゃんが見せてくれた昭和の無謀。当時私はそれを堪能できる器を持っておりませんでした。まぁ大衆向きではないですね。人は安心して見たい。

その点トシちゃんはギリギリ感を見せることなく、キラキラアイドルから徐々に成長していく様子を視聴者に見せ、そういう意味での安定感、安心感があったと思います。私たち世代が80年代を思うとき、やっぱりトシちゃんと聖子ちゃんなのです。