アンガールズには永遠に分からない
年越し連投で慎吾ちゃんネタ。
昨年秋、アンガールズのふたりが爆笑問題のラジオ番組に出演しました。太田光さんが「ブレイクダンス、日本で初めて踊ったのは風見慎吾だからね」と言ったら、ふたりがこう返しました。
「あのダンスは誰かから教えられたもの」と言い張っていました。彼らは広島県人の偉業を熟知し周知促進すべき立場なのにもかかわらず。アンタら、いつもさんざん「初めてトランペット応援をしたのはカープファン」「ジェット風船もそう」と広島の数々のお初実績を宣伝しよるじゃろうがね。今まで何度も仕事で本人に会ったことあるじゃろうに、地元先輩の功績を知らんのかね…。
歌いながらくるくる TBS 1985
某女性誌での衣装デザイナーとの対談にて。
アンガールズは「振り付け」というより「踊り技術の指導者」という意味での先生と言ったんだろうけど、それも独学なので、いずれにせよいません。
「アーティスト」という言葉。当時(今も?)「アイドル」の対語として「実力派」的な意味でとらえられていたけど、本来の意味は「作家(小説家に限らず)、作り手」。だから楽曲では作詞作曲をする人が本来のアーティスト。どんなに歌が上手くても作家活動してなければ演じ手、つまりパフォーマー。振り付けされたものを踊るのもパフォーマー。振付家がアーティスト。日本ではこのへんが曖昧で、広義では楽曲リリースする芸能人は皆アーティスト。
だから曲の振り付け、というより、ダンス創作/コレオグラフした慎吾ちゃんは本物の「アーティスト」、兼パフォーマー。しかも、まだほとんど開拓されていない分野だったからかなり先端の。
当時、ダンス創作や振り付けの分野は作詞作曲に比べて作家としての世間での認識や地位が低く、「ダンスの先生」と思われる程度。たまにテレビで例えば「コレオグラファー 西条満」とクレジットが付くことはあったけど、視聴者はほとんど認識してなかったでしょう。私が仕事で作家としての振付家たちと関わり始めたのは90年代後半、なので振付家が世間的にアーティスト扱いされ始めたのは多分90年代に入ってからだと思います。
慎吾ちゃんが斬新なダンスと驚異的な身体能力をいきなりテレビで見せつけたので、当時の世間の人々は彼のパフォーマンスだけに注目し、その制作面に対して関心を持つような風潮はありませんでした。
上記のインタビュー、またそれに限らず慎吾ちゃんは常々「 '演じる' ことより '作ること' 」への意識を語っていました。
当時は、例えばアイドルの「髪を短く切りました」「アタシからこんな服が着たいと主張したんです」といった程度のキャラ作りを「セルフプロデュース」と称し、それがいかにも個性的というふうに大衆に印象付けて差別化を図るという手法がよくとられていました。だから慎吾ちゃんみたいな真のプロデュースは、かえって人々に認識されにくかったと思います。
当時、いや今でも、彼の実績を「タレントとしての人気取りのためにブレイクダンスの動きを単に取り入れてみただけ」と捉えているケースがあるし。上記のアンガールズみたいに、大衆はなんとなく思うだけだから。
でも確かにそうなってしまうだろうなぁ。何度も言うけど、慎吾ちゃんは「もっの凄く」可愛いかったんです。グラビアでは海パンで波と戯れたり。
当時のアイドルってやたらこんなふう magazine h 1983
そりゃ、昭和巷ダンサーから「アイドルなんかに」ってジェラシー買っちゃうよね。なりたくてなったわけじゃないのにね。まぁ、私も欽ちゃん番組世代として彼を後年「アーティスト」と称するとはなんだか信じられません。つんつるてん ♪
イケメンだったからこそ人気アイドルになれて「ブレイクダンスの普及」に貢献できたけど、イケメンだったがゆえにイメージが先行して「アーティストとしての実績」が大衆に認識されにくく、慎吾ちゃんの作り手・仕掛け人としての側面が世間に浸透せず不利になったこともあったかと思います。
それは正に、カッコ可愛い二枚目の悲劇。アンガールズのふたりには永遠に分からんじゃろうねえ。