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祝!パリ五輪採用 伝道師のルックス変移

競技正式採用のお祝いで、慎吾ちゃん祭り絶賛開催中です。

慎吾ちゃんが最初にブレイクダンスを見せたのはロス五輪に沸く1984年夏のコンサートツアー。『涙のtake a chance』はその年末にリリース、翌年ブレイクダンスが一般層に広まる大ブームになりました。まだNTTもJRも発足しておらず、久米宏の「ニュースステーション」も始まってない時期。東京ドームもJリーグもない、消費税なんて概念さえない時代でした。

そこから40年。『バック・トゥ・ ザ ・フューチャー 2』のスパンをも超えて。

これを機に慎吾ちゃんがダンスを「独学」で会得したり、衣装を自己プロデュースしていたことが広く認識されたらいいなと思います。

そしてなにより、彼がイケメンだったということを!(当時「イケメン」という言葉はなかった)

「顔がイイ。カッコイイ。ひょうきんで踊りもウマイ。芝居もできるしもうサイコー!」 イベントに押し寄せた600人の女子高生たち   magazine h 1985

そこで、祝パリ五輪採用ということで、デビューからブレイクダンス楽曲ヒットまでの彼のルックス変移をコンサートパンフで追いたいと思います。

☆彡

■83年夏 デビュー曲「僕笑っちゃいます」ヒット時。爽やかで初々しい! この1年前まで革ジャンにリーゼントで哀川翔らと原宿でローラーやってました。

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■84年正月 デビュー半年後。目元がクリッとして可愛さが目立ってきて、カッコよさといい感じで融合。

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■84年春 歌手デビューから1年弱でこのレベルに達します。少女マンガに出てきそうな瞳。髪はロンドンで切りました。

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■84年夏 「僕笑っちゃいます」ヒットから1年後。歴史的なブレイクダンスステージ! このツアー、エポックメイキングすぎるので詳細は次回へ…。

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■85年夏 デビューから2年。ブレイクダンス楽曲ヒット後の全国ツアー。メイクが結構お好きだったようで、そのころの深層心理を反映しているのではないかと。

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☆彡

実際にコンサート行った人は是非思い出をつぶやいてください。私は当時キョンキョンのチケットは持っていましたが、彼のは手に入れる機会がありませんでした。

デビュー当初は彼のルックスに女の子たちは色めき立っていました。「欽ちゃんファミリーなのにカッコイイ人がいる!」みたいな。83年の夏は風見慎吾クンが主役でした。ちなみに女性では原田知世さん『時をかける少女』。

最後にひとつトリビアを。慎吾ちゃんと同時期にデビューで話題になったのは、ヤクルトスワローズの荒木大輔投手。初先発初勝利が1983年5月19日、『僕笑っちゃいます』発売が5月21日でした。おめでとう!