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最初期ブレイクダンスのファッション

「広島から初めて東京に出て来たときはびっくりしたけど…。今は、流行の一歩先を走っていたい。」 風見慎吾 shueisha  1984

ひょうきんでイケメンなお笑いアイドルの慎吾ちゃん。お人柄も素直で健全で、とっても気立ての良い男の子。一方、センスはかなり先端的でなかなか尖っていたご様子。トレンドや前衛文化にアンテナをビンビン立てていて、その受け皿となる教養も備えていました。さらに、それらを自己のものに変換創造する容量も。元々頭いいし。そしてきっと自身でその自覚もあったんじゃないかなーって思っています。可愛いお顔の下で「自分は与えられてばかりのお人形アイドルとは違うぞ。だってオレ、賢いし。」って。あくまで憶測です!!!

さて、『涙のtake a chance』1984 の制作について。

ブレイクダンス自体はリリースの半年前からWaveとコンサートツアーで踊り込んでいたので準備万端。曲は作曲家に急きょ依頼バックダンサーは引き続きWaveを起用することにして振付けを考え、髪型はみんなでワイワイ美容院へ。デビッド・ボウイみたいにしたかったのに、結局なぜか瀬古利彦選手風に。

「ヘアスタイルはGIカットですっきりと、ファッションはスエットとボクシングシューズで動きやすく…というこのごろの慎吾クンなのであります。」
風見慎吾 kindaieiga  1985

慎吾ジャージ中Heibon Apr. 1985
magazine h  1985

こちら当時ニューヨークで大流行りのスウェット・ファッションで、ミュージカルやブレイク・ダンスにあこがれている若者のトレンドだったそう。

「スポーツ感覚で着られて、すごく楽。これにメタルバンドとかつけて、キメる。いつでもどこでも気がノッたらこのまんまブレイク・ダンスが踊れるような、そんな感じで、ここんとこずーっとこんな感じで仕事の現場にでかけてる。」  風見慎吾 magazine h  1985

で、肝心の衣装。ここでもアクロバティックに即、行動。デビューしたばかりの同い年のデザイナー、ノブ君を気に入ってすぐに依頼、話し合って15分くらいでぱぱっとデザインを決めたそう。スウェットにサテンをアレンジ。次曲の『BEAT ON PANIC』1985 でもそのデザイナーに依頼しています。

そのデザイナーのブランド、現在はキム☆クとか人気女優とか多くの有名人が着ているようですが、もともとは私服でも慎吾ちゃんが芸能界で一番早く着始め、当時お洒落アイドルとされていた某女史もカレの影響で着始めたのだった。

おしゃれ慎吾small
magazine h  1985

そのブランドは後に海外展開するほどの人気に。ファッション方面でも目が利いていたんですね。

ジャンバー慎吾中
magazine h  1985

ちなみに、慎吾ちゃんがジャージだのアディダスだのに凝るのはもうちょっと後の時期。

なので、この曲は正に奇跡の曲。ばーっと一気にあらゆる新規を開拓して革命とブームを巻き起こし風のようにさらりと去っていきました

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shueisha  1985

☆彡

【追記】さらにこの半年前を「初期のファッション」としてアップ  →→