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トシちゃんと慎吾ちゃんとロス五輪

以前の記事で、トシちゃんは1984年に5回も海外に行ったと、またその中で五輪絡みでロサンゼルスに行ったと書きました。

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“ロス五輪で走るのサ” magazine h  1984

そう! トシちゃんは聖火ランナーとして現地を走ったんですよね。当時かなり話題になっていたような。さらに、現地報道では「日本のマイケル・ジャクソン」と紹介されているではないか!(from Wiki)

Also carrying the torch Saturday will be Japanese singer Toshihiko Tahara, who has been billed as 'the Michael Jackson of Japan.' 
“Olympic torch runners wove through the old mission town...” .UPI. United Press International, July 19, 1984

そんなふうに言われてたっけ? ジャニーさんがプレスに吹き込んだのかな。

☆彡

慎吾ちゃんは自称していました。1984年初めごろ「ボク日本のマイケルジャクソンって言われてるんですよ、ブレイクダンスも得意です」って。これはきっと前半冗談、後半本当。前年にはMJのビデオ見ながらバックダンサーの関根勤先輩や小堺一機先輩と大はしゃぎ。しかしその後、グラミー賞授賞式のハービー・ハンコックに大感激して「MJよりもこっち!」と思い、ちゃんと踊れるバックダンサーWAVEを用意し夏の全国ツアーで『Rockit』を上演。そのツアーがちょうどロス五輪開催(7/28-8/12)と同時期。トシちゃんがアメリカで聖火持って走っているころ、慎吾ちゃんは日本でブレイクダンスを踊っていました。岡山の野外ステージでは暑くて死にそうになりながら。

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ブレイクダンスツアー   1984年夏

カール・ルイスが100mを9秒99で走って金メダルだった五輪。あれから40年近く経ち、短距離走もブレイクダンスも日本の実力は格段に飛躍しました。

☆彡

ちなみに、トシちゃんが聖火ランナーになった経緯について、近年テレビで本人曰く「ジャニーさんが走らせたいって言って」。記念のトーチも今では行方不明とか。なるほど、だってトシちゃんは…  

「本当は外国に行くことって、そんなに好きじゃないんだけど、ね。」
田原俊彦 magazine h  1984                             

MJのステージ観にわざわざアメリカまで連れて行ってもらったというのに…