トシちゃんはドメスティック
以前、少年隊がレッスンやレコーディングのため頻繁に渡米していたと書きました。年に4、5回行っていたのではないでしょうか。現地ではMJの振付家によるレッスンを受けるなど、ジャニーズアイドルは育成環境に本当に恵まれていました。
トシちゃんもよく海外に行く機会があったようで、特に1984年は五輪絡みでロサンゼルスへ、イメージビデオの撮影等でニューヨークへと、計5回も外国に行っています。
ジャズダンス界の巨匠、名倉加代子先生と共にダンスのレッスンを受けにも行っています。トシちゃんサイトの記述によると、現地で一緒にぜいたくなスタジオ巡りをしたそう。
話はそれますが、私の友人がかつて名倉先生に師事していました。私とは関係が遠いですが、ちょっと親近感。
話は戻って、80年代にアイドルが海外に行くということ。少年隊の世界進出断念について以前「ニッキはアメリカ進出にあまり前向きではなかったのかも」と書きました。昭和時代に外国で英語でやっていくのは大変だっただろうし。
トシちゃんはどうだったかというと、やはり以下のとおり告白。
恵まれすぎるとかえってしんどくなっちゃうのかな。少年隊もあまりに渡米させられたので、かえって有難みが分からなくなったのかも。「これをやりたいから行かせてくれ、行かせてくれないなら自分で行く!」と思うぐらいが若者にはちょうどいいのでしょう。志ありきじゃないと海外でやっていくのは厳しい。
ちなみに、このころの海外経験の中でトシちゃんにとってナンバーワンの思い出は、MJのステージ鑑賞だそうです。やっぱりMJの影響力がここ40年に渡るダンスエンターテイメントの原点になってますね。