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トシちゃんはドメスティック

「ダンスのレッスンのためニューヨークとラスベガスに行ったとき、13レッスンも受けたんだ。1回が2時間だから合わせると26時間、ジャスダンスとタップを習った。」 田原俊彦 shogakkan 1983

以前、少年隊がレッスンやレコーディングのため頻繁に渡米していたと書きました。年に4、5回行っていたのではないでしょうか。現地ではMJの振付家によるレッスンを受けるなど、ジャニーズアイドルは育成環境に本当に恵まれていました

トシちゃんもよく海外に行く機会があったようで、特に1984年は五輪絡みでロサンゼルスへ、イメージビデオの撮影等でニューヨークへと、計5回も外国に行っています。

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TOSHI IN NEW YORK 10R  CANYON  1984

ジャズダンス界の巨匠、名倉加代子先生と共にダンスのレッスンを受けにも行っています。トシちゃんサイトの記述によると、現地で一緒にぜいたくなスタジオ巡りをしたそう。

「名倉先生とは22、23の頃、ダンスレッスンで一緒にニューヨークに行ったりしました。」 「1日にダンススタジオを3軒くらいハシゴさせられて  “この人、鬼ババァか!”  あ、もとい、”ホントにダンスの鬼なんだなぁ” と、痛感させられました。」   Favorite Mail  Apr. 25 2011

話はそれますが、私の友人がかつて名倉先生に師事していました。私とは関係が遠いですが、ちょっと親近感。

話は戻って、80年代にアイドルが海外に行くということ。少年隊の世界進出断念について以前「ニッキはアメリカ進出にあまり前向きではなかったのかも」と書きました。昭和時代に外国で英語でやっていくのは大変だっただろうし。

トシちゃんはどうだったかというと、やはり以下のとおり告白。

「本当は外国に行くことって、そんなに好きじゃないんだけど、ね。」

トシ食べる Heibon Sep. 1984 - コピー
magazine h  1984

恵まれすぎるとかえってしんどくなっちゃうのかな。少年隊もあまりに渡米させられたので、かえって有難みが分からなくなったのかも。「これをやりたいから行かせてくれ、行かせてくれないなら自分で行く!」と思うぐらいが若者にはちょうどいいのでしょう。志ありきじゃないと海外でやっていくのは厳しい。

「アメリカに行って、一流の踊りを目の前にしちゃうと、正直言って、ぎゃふん、負けたっていう感じ。このショックから立ち直るのは日本人のナンバーワンをめざすんだって、自分に言い聞かせることだね。」
田原俊彦 shogakkan 1983

ちなみに、このころの海外経験の中でトシちゃんにとってナンバーワンの思い出は、MJのステージ鑑賞だそうです。やっぱりMJの影響力がここ40年に渡るダンスエンターテイメントの原点になってますね。