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全てが最も高度に揃っていたアイドル

ソロアイドル語りにこだわりたいのだけど、ダンス系ということで例外的に少年隊を取り上げています。

以前、「歌とダンスとルックス」の全てが最も高度に揃っていた80年代アイドルはニッキ、錦織一清だと書きました。

だけど、それに見合った世間の認知度がないですよね。例の格差云々みたいに。世代外の人たち、つまり現在のおばあちゃん年齢の人や平成生まれの人は彼の名前や存在を知らなかったりします。

歌とダンスとルックス、全てがS級に限りなく近いのにその総合点がSにならない、つまり「S⁻×S⁻×S⁻=A」になってしまっている。それが存在感がS級にならないことにつながって、総合点A⁺ のトシちゃんより世間での認知度が低くなってしまっています。

その理由は何よりまず、昭和でソロじゃなかったということ。チャートやテレビ欄に個人名が出ることはない。ソロのトシちゃんとマッチは一般世間でも田原俊彦、近藤真彦だという認識が確立されていました。でも、グループだとどうしても「少年隊の人」になってしまう。独りで勝負に出ているわけではないから。

グループとしても、7人くらいの人数での「バラとかすみ草」パターンではなく3人で全員のレベルが高かったから、大衆から見ると存在感も1/3だったでしょう。だから藤井郁弥や諸星和己になれなかったわけで。かーくんなんかS級要素、ひとつもないのに。

活躍のタイミングもあったかもしれません。少年隊が最高潮だった1987年、ランキングも売り上げも完全にマッチを上回っているのに、レコード大賞はマッチの『愚か者』。これは少年隊ががんばったのを、ジャニーズの実績としてマッチが先輩として代わりに受賞したのが実態だと思います。翌年には光GENJIが台頭し受賞。少年隊は谷間になってしまいました。

このころ歌番組の力が弱まりつつありました。隆盛を極めた80年代前半、少年隊はレコードデビューを待ってレッスンを重ね、デビュー後の80年代後半は歌番組が下降気味だったのに加え、光GENJIのように完成されてないところから応援することに多くのファンが引き付けられました。

平成から歌番組も少なくなり少年隊も光GENJIもソロ活動や解散などそれぞれの道を進むにあたって、ニッキはテレビ露出の印象があまりなかった気がします。実力的にステージの人だから長年ミュージカルで十分活躍したと思うけど、大衆はテレビで判断するのでどうしても認知度が下がっていくし、映画の主演をしてもファンじゃないとなかなか観ない。

個別の活動として、ニッキは演出など裏方に関わるようになったとのこと。アイドル時代から歌唱に「Tonight ya ya ya・・・」「ワカチコ」のスキャットを入れるアイディアを出したりとクリエイティブだったから知恵もセンスもあったと思うし、だとすると作り手志向になっていくでしょう。

アイドルが作り手志向になってしまうと葛藤がいろいろあるでしょうね。その点、ヒガシは身体能力が拠り所で他に特出したセンスがあったようでもなく、ひたすら表現者に徹したというところがマッチのスタンスに似ていると思います。ニッキは歌って踊るアイドルとして十分やり遂げたと思うけど、「アイドルが知恵やセンスを持ちアーティスト(作り手)志向を帯びると、芸能人としてはちょっとソンする」というのが、後々のマッチやヒガシとの対比になっていると感じてしまいます。

ニッキは退所発表時に、ずっとジャニーズ事務所にいたことに対し「少し恥ずかしさを覚える」と言っていて、やはりそういう自意識を持っていたんだなと改めて思いました。トシちゃんのように。また、何年か前テレビ番組で中居クンに「SMAPは ‘ジャニーズ事務所っていう鎧’を着てない感じがする」と言ったことから、「ジャニーズという鎧」の自覚もあったんだなと。

ニッキはアイドルをするには才能に恵まれすぎていました。

「いま学校通ってるんですけどね、英会話の。全然分かんないですね。」 錦織一清 「おしゃれ」NTV 1985年12月

勝手な推測だけど、ニッキは…英語に苦手意識が生じて(他の2人もだけど)アメリカ進出にあまり前向きではなくなったのかも。あくまで憶測ですが。1987年3月初めのインタビューで海外活動計画について話を振られたとき、「また外国に行かせるんですか」って返してるし。彼が唯一できなかったこと、英語。これさえできていたら公約の全米進出を果たせて世界規模の活動で表現者に徹し、アイドル期が終わってもパフォーマーとしてジャニーズ系ナンバーワンエンターテイナーになれていたかもしれません。

もっとも、グループ離脱なり解散なりしてソロ活動に移行していれば、の話ですが。集団にいるかぎり「ワン」にはなれないから。

☆彡

忍者の正木慎也クンもダンス、ルックス、そして歌!の三拍子が高い水準で揃っていたと思います。でも、なにせ、知名度が及ばなくて…