見出し画像

ソロアイドルと同列では語れない

前回トシちゃんを熱く語った勢いで、さらに男性アイドル語りを続けます。

今どき男性のソロアイドルっているのでしょうか? あまり聞かないですね。というか、今だったら若くても俳優なら俳優として扱われるし、曲出したらアーティスト括りにしてもらえたり。でも80年代は、俳優志向だろうがミュージシャン志向だろうがお笑い志向だろうが、若かったらとりあえず「アイドル」にさせられてしまっていました。渡辺徹も吉川晃司も風見慎吾も、デビューのころいったんアイドルを通過していたわけで。そこで若さとルックスを一番の売りにせざるを得なかったから、非ジャニーズの本格志向にはその後のイメージ脱却がきつかったことでしょう。ジャニも非ジャニも歌やドラマや映画やバラエティやかくし芸大会や水着や、、、若い時期に集中的になんでもやらされて消費されていました。

さて、言わずもがな80年代初頭はジャニーズたのきんの天下でした。ただ、トリオしていたけどユニットとして曲出したわけでなく、それぞれソロでデビューし(ただし、ヨッちゃんはバンド THE GOOD-BYE)、絶大な人気を得ました。82年にはシブがき隊もデビュー。しかし、その間に割って入ったのが、沖田浩之(81年)、竹本孝之(81年)、嶋大輔(82年)、風見慎吾(83年)、吉川晃司(84年)など の面々。84年にはチェッカーズがぶっちぎりますが、このようにソロアイドルが検討していた時代があったのです。

80年代も後半になると、シブがき隊とTHE GOOD-BYEの流れからか、ジャニーズからは少年隊、男闘呼組、光GENJIとグループばかりになります。それが現在までの30年間に渡り続いてきた活動スタイルなのでしょう。ソロでは現代の多様化した嗜好を受け止めきれない、でもグループなら誰かが何かをそれぞれ担うことができる。欠点もカバーできて責任も分け合える。歌って踊る負担を分け合うこともできる。それが成功パターンとして長生きできる形式なんでしょうね。

だからこそ、ソロでアイドルやっていた人たちの重みってすごいと思うのです。彼らは一人で身をさらし、栄光も凋落もたった一人で請け負う。バックダンサーがいても皆が見るのはスター。だから、実力を比較しようとするとき、ソロとグループの誰か一人を比べるのはアンフェアだと思うのですよ。負担と覚悟が全然違う

やはり三人だと心強い。つらさも三分の一になる。 東山紀之
『カワサキ・キッド』  朝日新聞出版 2010年

例えば、ダンス。よく「誰が一番?」みたいになったときに、そりゃトシちゃん、いや慎吾ちゃんの方が、それなら少年隊のヒガシが、って流れになるのだけど、そこで「ん?」と。 ヒガシはあくまでグループの一員なわけで、一人で勝負しているわけじゃない。比較において独立した存在ではないのです。そもそもダンスのベクトルが違うから「どっちが上手いか」っていう比較は不毛なのだけど。あえて比べるなら、「ヒガシとニッキ、どっち」とか「ヒガシと諸星」とか、あるいは「少年隊と忍者」なら、まぁアリです。

ところで、よく「ヒガシのダンスが一番上手かった」と聞くけど、そう言うならニッキだって…って思っちゃう。ヒガシは手足が長く、アクロバットもよくしていたので上手く見えるけど(まぁそれらも実力のひとつですが)、ニッキも同等にアクロバットができる上にダンスの優美さや完成度が抜群、さらに歌唱力があり顔も完璧なので、単体としては当時の全アイドルの中でニッキは総合力ナンバーワンかもしれないのです。

何事をするにも「三人一緒」。息を合わさなければならないが、緊張も責任も三分の一になる。 東山紀之 『カワサキ・キッド』  2010年

でも、そこはやはりグループの一員でしかないから「少年隊はすごいね」にしかならない。複数でもってはじめて成り立つ存在。受ける視線も背負う負担も三分の一。個人名がラインナップやランキングに出るわけでもなく。それは現在のシーンでもしかり。「ライブではソロパフォやってます」っていったって、個人名で楽曲リリースして世に問うパフォーマンスとは根本的に違うから。

「踊っている最中に緊張しちゃって真っ白になっちゃって、アレ? 何だったっけ振り、ってなっちゃうんですよ。」 
「3人でよかったねえ。ソロだったらえらいことよ。」
植草克秀 加賀まりこ 「夜のヒットスタジオ」 1990年5月16日

彼らはマウンドに立ってはいないのです。

なので、トシちゃんと慎吾ちゃんの並びに、グループのいち構成員を据えることはできません。独りで戦ってきた人のみ同列で語れます。と言っても、昭和末期以降もうほとんどいないロンリーソルジャー。

画像1
TOSHI IN NY 10R CANYON,  magazine h  1984

だから、絶滅状態となったソロアイドルを改めて称えたい! やっぱり昭和の人間としては一粒ダイヤモンドを見たいのです。屑ダイヤのクラスターじゃなくて。ではこの勢いで、80年代非ジャニの筆頭アイドルダンサーについて語りつくそう。つづく。