以前の記事で、少年隊が過去に全米デビューする予定だったこと、またそれが頓挫したことについて、以下のように書きました。
「英語に苦心したと語っていたから、それが障壁になっていたのかも。」
後日、同じ趣旨のサイト記事をたまたま見つけました。辛口な指摘として。その記事は、彼らがアメリカで英語で質問されてまごついている当時の様子を揶揄していたのだけど、私は彼らに英語力が無かったのは仕方ないと思います。というのも、当時はまだ語学習得のノウハウが確立されてない時代。
当時は皆、学校授業で文法のお勉強と単語の暗記。英会話レッスンの機会はかなりまれで、ずっと後年の平成になって国が「これではしゃべられるようにならない」とスピーキングなどコミュニケーション重視の教育法に舵を切った。……のだが、それでも日本人の英語力は向上しない。だってやっぱり文法は必要。英語ネイティブじゃないんだから。
少年隊の3人は中学時代からジャニーズに通い、高校は仕事しながら定時制。中学レベルの英文法がしっかり出来ていればかなり有効だっただろうけど、アメリカ進出への準備の際彼らはそういった復習をすることなく、きっとやたら挨拶や自己紹介を繰り返すような英会話レッスンを受けていたのだろう。それはザルに水を入れるようなもので覚えたものが蓄積されないし、作文も出来ないから言いたいことも言えない。語彙もないから何言われてるのか分からないし、当然対話は成り立たない。レコードデビューの1985年末、久米宏司会のトーク番組でニッキがぼやいている。
中学で習う基礎単語を習得していないまま、Be動詞と一般動詞の理屈さえも理解してないまま、英会話の練習をしていた可能性が高いと察します。
70年代のピンクレディーの海外進出は実は一定の成果を収めていたと、何年も後になって回顧系番組で紹介されていた。ゲストとして当時を語るミーちゃんは、「すっごい勉強した。あんなに勉強したことない、ってほど勉強した」と言っていた。たぶん、番組の台本を丸暗記して挑んでいたのだろう。その時点で学校で習った英文法をはっきり覚えてはいなかっただろうけど、それなりの長さの文を暗記するうちに過去に習った法則がなんとなくよみがえってきて、パターンとして暗記できたり会話に応用できたりしたのではないか。基本的な語彙も持っていただろうし。
80年代のラウドネスも英語には相当な苦労をしたようで、それを乗り越えて全米デビューを成し遂げた。
聖子ちゃんも、紆余曲折があったものの、英語をクリアし五年越しでなんとか世界デビューを実現させた。
「 自然に英語が出るようになれば。それが成功の第一条件 」
言葉ができないとどうしても子供扱いされ軽んじられる。「歌とダンスが本職です」と言っても他の人と関わらざるをえない。ルールという共通ツールがあるスポーツ、例えば野球選手ほど専門性の限定度が高くないわけだし。自分の意見を伝えたり英語ネイティブと議論できるレベルにならないと、米国では相手にされない。
特に東洋人は英語が話せないとリスペクトの対象になりえない世界。
業務上必要なのは、フィーリングではなく論理的な意思疎通。
世の中に「英語全くできなかったけど、アメリカに渡って活動したよ!」という経験を持つ人はいるだろうけど、彼らはアイドルで自発的に挑んだわけではないから危機感がそもそも無い。文法基礎もサバイバル精神も無い状態なのだから、英語が上達する要素が全くない。
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以上、自論を展開してみました。全米デビュー断念の理由として英語を前提としていますが、それが理由だったとどこかではっきりと示されているわけではないのです。ただ、この件について後に言及されることが全くなく、ヒガシの自著でさえなぜか全然触れられていなくて、不自然。
東山紀之『カワサキ・キッド』2010年
アメリカでの活動、苦労しただろうしきっと思い出深いでしょうに。正式契約までして何度も渡米した大きな仕事だったから、忘れてしまうはずはないのですが。
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■ 1985年7月10日米WEAとの契約調印式で、WEA会長の言葉として下記のとおり激励されたとのこと。
■ 英会話学校でのレッスンにて
■ 1986年3月の紙上にて
■ 1986年3月13日のザ・ベストテン放送にて、アメリカABCニュースのラスベガスの現地リポーターが、インタビューに答える彼らの英語を聞いてこう伝えている。
■ 20年以上経った2010年の12月、赤西仁がソロで全米デビューするにあたり開いた会見でのジャニー喜多川の言。
■【追記】on twitter after thirty-five years