少年隊 ブロードウェイ進出計画
「少年隊」について書いたタイミングでちょうどニッキとカッちゃんの退所報道があったので、筆がノッちゃってそれ以降あれこれと書いております。
彼らが目指し、かつ頓挫した「全米デビュー」について以前記しました。英語盤アルバムの世界発売の件です。
ところで、少年隊には「ブロードウェイ進出」の計画もあったとか。
1986年春の記事では以下のように発表されています。
「赤字覚悟」は事務所の製作宣伝課長からの発言だし、これだけ詳しく報道されたところをみると相当準備が進んでいたと思います。しかしながら実現しなかったもよう。開催イヤ―の1987年、春先のラジオ番組でDJから世界進出に関する活動スケジュールについて「どうなってますか?」と聞かれたとき、彼らは「詳しいことは分かってない」と曖昧に答えています。
当の本人が、全米デビューやブロードウェイ公演といった超重要イベントの進行を把握してないってことは考えにくいのですが…。でも、アイドルってそんなものかもしれません。
アメリカは契約にうるさいから、これほどまで準備や宣伝をして結局実施しなかったとなると、先方との間でいろいろややこしいことがあったんじゃないかと。
☆彡
1986年の時点では、あちこちの芸能記事でレコード発売を皮切りにした世界進出への意気込みが躍っていました。
某ランキング番組のラスベガスからの中継でも、現地のテレビ局リポーターが彼らのアメリカでの活躍を期待する旨のコメントをしていました。
海外活動としては台湾や香港などへのアジアツアーはしており、アメリカでもゲスト的にテレビ番組等に出演したようですが、米大手レコード会社WEAと契約しアルバム製作まで挑んだ本来目指すところの「全米デビュー」、つまり当初の目標だった「世界進出」は果たせていない状態です。
でももしブロードウェイに進出できていたら、ショービジネスとして文句なしの海外実績となったでしょう。
1986年秋のアルバムの世界発売、1987年内のブロードウェイ公演、両方とも立ち消えに。
今になって思えば、アメリカでの活動を全面的に断念した、ということなのでしょう。
断念に至る経緯や理由の記録があればいいのだけど、コアなファンでも知らないようで。うやむやなまま、30年以上が過ぎてしまっています。
ある記事で、「英語はどうなの?」と聞かれてニッキが「バッチリです。現地の女の子も口説けます。」なんて答えてるけど、別の記事では「英語恐怖症でミョーに無口!?」という見出しもあって、やはり、そういうことなんだなと思います。
でも、まだ遅くない!「少年隊」が消滅したわけではないんだし。もう一度世界にトライしてみれば!! どんなかたちでもいいから。もったいないし、きっとこのままでは終われない。