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80年代アイドル 米国進出資質の一番手

「ハンパじゃないぜ世界進出」「世界がお呼びだぜ! オレ達の夢がもうすぐ実現する!」「こうなりゃ、世界を乗っ取る気でトライだ!」
少年隊   芸能誌記事見出し 1985年-1986年

80年代のダンス系アイドル、トシちゃん、慎吾ちゃん、少年隊、光GENJI、忍者。

この中だったら、一番アメリカ進出の資質がありそうなのは慎吾ちゃんかなと思います。唯一の非ジャニ。

まず、向こうで受け入れられやすいのは和モノ要素。日本オリジナル。トシちゃんのエレガンスは本当に素敵ですが、あのブロードウェイ風ダンスはアジアからわざわざ輸入されはしないでしょう。光GENJIはパフォーマンスの成熟度的に無理がありメンツも幼すぎる。ローラースケートは当然不要。

一番分かりやすいのが忍者で、コンセプトとしては日本より向こうでの方がウケたかも。ルックスも皆なかなかのイケメン。

少年隊だったらデビュー前にやっていた『三味線ブキ』『日本よいとこ摩訶不思議』が輸出用作品としてとてもイイと思う。アメリカ側が少年隊に全米デビューを持ちかけたのはこのあたりが欲しかったのではないかなと思う。英語版歌詞もあるとか。ヒガシ曰く、米側から着目された理由は、歌いながらあそこまで三人揃えて踊るのが当時現地にはなかったからだそう。他者と同調する踊り、それは正に日本人の強みですね。

日本人の強みと言えば「キビキビ感+弾力性」も。なので慎吾ちゃんのあの竹のようにビヨンビヨンしなる動きは目新しいかも。より東洋的で。あと、あの異常な軽さ。現地の少年のバネによる軽さとはまた違ったフワッフワッした浮遊感的軽さは輸出に値しそう。ブレイクダンスに空手少林寺カンフー太極拳的な要素を多く入れて忍者っぽい恰好して竹の棒を如意棒みたいに振りまわしていればイケたのではと。アジアごちゃまぜ状態だけど、アメリカ人は細かいことは気にしない。

とにかく身体的迫力では現地のダンサーに太刀打ち出来ないので、欧米人が見たこともないような繊細さや器用さで勝負するしかないでしょう。

まあいろいろ妄想を書きましたが、やっぱり決め手は「英語」。これに尽きます。

「自然に英語が出るようになれば。それが成功の第一条件」
- 現実になるカギは会長の言葉のように英語力だ。英語力を身に付けたうえで、彼らのアルバムはどのようなものになるか。-  kobe-np  1986

ジャニーさんの悲願だった全米デビューブロードウェイ。少年隊があれだけレッスン受けてもついに習得できなかった英語。慎吾ちゃんだったら、まぁなんとかしたでしょう。小5の時初めての海外でアメリカの親戚を訪ねて独りで渡航超進学校での中高時代は数学物理バッチリ英語ダメダメの典型的な理系脳男子で、大学受験のためしぶしぶ赤本豆単に着手。国立受験には英語は避けて通れない。毎日50個の英単語を覚えるノルマを自分に課し、学校の先生に自ら頼んで毎日特別指導をしてもらっていました。

「英語といえば、高3の春 - “先生、ボク大学行きます” “そうか。だがおまえの英語は中学生レベルだ。まず単語をたくさん覚えることだね”」
先生は慎吾のために毎朝学校に早く来て、英語の指導をしてくれたのです。
笑っちゃいますストーリー shueisha  1983

しかしながら、「あんなに勉強したのに結局は受験科目に英語が不要だった某大工学部に行くことになった」と、せっかく習得した語彙文法読解力が宙に浮いていたのです。仮にアメリカ進出という話が持ち上がっていたとしたら、欽ちゃんからのシゴキとダンス体得で培った「独学」精神で、既存の語彙文法力を基に活動用英語をクリアできたでしょう。そこが昭和ジャニーズとの違い。アメリカにも連れて行ってもらったのではなく自分で行っていたし。いつも独りでニューヨークへ行き、現地のディスコに通っていました。

アメリカへの想いを熱く語っていた慎吾ちゃん。

「生意気かも知れないけど、これからのショー・ビジネスの世界を担うのは僕らの世代だと思う。毎年、ニューヨークにダンスのレッスンしに行くんだけど、未だに日本はミフネ、ソニー千葉(真一)なのね。日本企業の看板はズラ~ッと並んでいるのに、日本の芸能人は何してんだろ。それを見るたびに、クソォ、自分はいつかエンターテイナーとして、ここにデッカイ看板出してやるゾって気持ちになるね。」    風見慎吾  「Talk ライブ  秋に賭ける」1987年

当時非ジャニーズ界隈で海外用プロモーターがいなかったことが残念です。

その一方で、現地のダンスを目の当たりにして世界との差を冷静に感じ取っていたのもまた事実。

「ミュージカルなんか凄いですよ。凄いということが分かればそれでいいというレベル。日本からかけ離れているんですよね、あっちの人たちの踊りは。だから今度あの踊り盗んじゃおうかな、あの踊り練習しよっ、とか思ったけどなかなかできるもんじゃないですね。向こうの人は4,5歳からもう10年20年やっている人ばかりです。しかも黒人だったら生まれ持ったバネとかもあるでしょう。だから、幼稚園の子供がカール・ルイスのように走りたいなと思っても無理だというのと同じレベル。」  風見慎吾 BP 1986

本場の踊りのレベルは日本からかけ離れている
カール・ルイスと幼稚園の子供ほどに

 magazine h  1984

いずれにせよ、このルックス ↑ じゃ現地では幼稚園児とまではいかなくとも10歳ぐらいにしか見えないだろうから、ビジネスにはならないかも。だからやっぱり昭和男子アイドルでは世界進出は難しかったですね…。

なお、歌唱力については全く見当がつかないので考察していません。

あと、念のため。上記で慎吾ちゃんが「毎年ニューヨークに ‘ダンスのレッスン’ に行く」なんてキレイに言っていますが、実態はもちろんナイトクラビング

ところで、慎吾ちゃんルーツの一世風靡。1984年にロンドン、1987年にニューヨーク(アポロシアター)で単発的にパフォーマンスを実施しています。世界デビューを目指したわけではないですが、彼らの踊りは完全な和モノオリジナルで時代性も表しているし、その点では海外公演に価値があったと思います。

あ、そういえば80年代にCHA-CHAがいた…。木野正人クンが自力でアメリカに挑んでた! どの程度の活動だったかは知らないのですが、実力と向上心はさすがジャニーズかつ欽ちゃんファミリー。彼のダンスの優美さはトシちゃんニッキに並ぶものです。