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リマールと慎吾ちゃんでデュエット

少年隊に続き「あれは結局どうなった」シリーズ、今回は慎吾ちゃんです。

前も書きましたとおり、慎吾ちゃんは元々ロンドン派。中学生の時パンクで音楽に目覚め、ラジオDJではUKロックをかけまくり。

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コンサートでもUKロック shueisha 1985

思い溢れて欧州まで飛びました。その時、カジャグーグーを抜けたばかりのリマールに会っています。ロンドン郊外の彼のスタジオを訪ねて。リマールは数か月後に東京音楽祭に参加するため日本に来ることになっていたので、また会おうと約束し、1984年春に来日したときに再会。

その際、慎吾ちゃんが「ボクに曲作って」と(図々しく)頼んだら、なんとOK。リマールから「デュエットしよう」なんて言われていて。まぁこれはさすがにリップサービスでしょうが、楽曲提供の方はそれなりに前向きで「英語大丈夫なの?」と聞かれてたり。

なお、リマールはこの東京音楽祭が縁となって、後に『ネバーエンディングストーリーのテーマ』1984を歌うことになりさらなる世界的有名人となるのですが、約束した楽曲提供はどうなったの…と顛末はいかに。

リマールが『ネバーエンディング…』歌唱披露のため再来日した1985年2月、慎吾ちゃんは『涙のtake a chance』の大ヒット中で多忙を極めたころだったので、再々会を果たせたのかどうか。

慎吾ちゃんは歌手活動(レコードリリース)自体1986年以降はしてないから実現していないのでしょうが、万が一何らかの形で楽曲提供受けていたとしたら、すごいです。もし実現していたらと想像するとなんだかコワイ。特にデュエットって…。歌と踊りのコラボだったらアリだったのにね。ニューウェーブと日本人によるヒップホップって究極的ワールドブレンド。

☆彡

【追記】「あれは結局どうなった」として、もうひとつ。
2枚目のアルバム『Whoopee 〜ギャーピーの叛乱〜』1985のころにプロモーションビデオを作る計画があったそうだけど、実現しなかったのかな。もし出来ていたら、後年ものすごく価値のあるものになったでしょうに!