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世の中がキッカワ 1984

1980年代はテレビが娯楽の王様で、さらに歌番組が隆盛を極めていました。バラエティ番組やクイズ番組でも歌のコーナーがあり歌手がゲストとして出て歌ったりと、人気歌手やヒット曲は世間や人々の日常にものすごく影響力がありました。

83年に明菜ちゃんが台頭してくるまでは、「世の中が聖子ちゃん」でした。聖子ちゃんの新曲、聖子ちゃんの衣装、聖子ちゃんの髪型、聖子ちゃんの恋愛…、朝から晩まで大人も子供も良くも悪くも好きも嫌いも聖子ちゃん聖子ちゃん聖子ちゃん…。人気歌手が、手の届かない存在ながらも、皆の共通の話題として社会や家庭にどっぷりと入り込んでいました。

「世の中が聖子ちゃん」がベースにありつつ、その時々に「世の中がホニャララ」という現象がありました。何かひとつのことが世間を支配する状況。多くはヒット曲や有力新人のデビュー。時の人、ですね。では、聖子ちゃんの同期からご紹介。

’80 トシちゃんの時は…、覚えていません。まだ子供だったんで。気が付いたら賞レースで歌っていました。

’81 マッチの時は、覚えています。子供たちが「じーさんさん じーさんばーさん ひとりきりー♪」と、故筒美京平先生作曲のデビュー曲を歌っていました。大人の世界がどうだったかは分からないので「世の中が…」とは言い切れませんが、学校ではマッチの話でもちきりでした。でも、返す返すデビュー当時のマッチ、どこがそんなに良かったんだろう…。 

’82 シブがき隊の時は、なってません。ナイナイナイ♪ ってちょっと歌ったけど。

’83 慎吾ちゃんの時は、「世の中が『僕笑っちゃいます』」でした。使い勝手がいいのか、子供もオジさんもやたらこのフレーズを歌ったり使ったりして、流行語になっていました。流行語大賞がこの年代にあったら獲れていたでしょう。「涙なんか こぼします」という歌詞が文法上おかしい(打消しの否定文になるはず)などと、ウチの母が熱く主張しておりました。 

’84 晃司クンの時は…、「世の中がキッカワ」にはならなかったです。以前も書きましたが、ご存じのとおり「チェッカーズ」がいました藤井郁弥がいました。なので、この時期は「世の中が郁弥」でした。あーあ。

☆彡

さて、このシリーズ、元々トシちゃん vs 慎吾ちゃんのダンス比較でスタートし、慎吾ちゃん ‐ 晃司クンのような対比をネタに。今度は晃司クンを軸に vsトシちゃん、vsマッチでやろうと思ったけどネタ不足で断念。ジャニーズ陣は晃司クンを脅威に感じていたと思うけど、晃司クンにはそういう意識はなかったと思われます。たぶん。「方向性が違うし、俺、アイドルじゃねーし」みたいな。一見悠々としていたようで、でも実は日々いっぱいいっぱいだったのかも。芸能界云々以前に、慣れない東京で。だからジャニーズなど気にするゆとりなんかなかったかと。

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shueisha  1984

しっかし、今はホントかっこいいですねー、晃司クン。比べるのは失礼と思いつつ、この中ではルックス的にぶっちぎっています。トシちゃんも慎吾ちゃんも体形かなり保っていると思いますが、シブおじとして晃司クンはすごい。あ、シブがきだった皆さんも、良いオジサマになっていますよ。マッチおよび藤井氏のことは存じ上げませんけど…。