限界突破アイドルパフォーマンス
以前、トシちゃんのダンス佳曲二番手『ジャングルJungle』を褒めたから、慎吾ちゃんのもちゃんと褒めるよ。『BEAT ON PANIC』1985。
この頃のルックス最強! shueisha 1985
これを現代、ソロで歌って踊れる人いるのだろうか。呼吸とスタミナ限界への挑戦。是非、令和の若者にトライしてほしい。
最も激しいステージとして、出演者によるダンス対決状態となった「夜のヒットスタジオ」でのパフォーマンスがあります。
NHK某歌番組にも出演して歌っていました。この放送を私はリアルタイムで見ましたが、当時は正直、ついて行けなかった…。今なら分かる、というか一番好き。今ならあの攻めの姿勢を受け止める度量があるのですが、当時はまだ受け入れ感性が育っていないローティーン。可愛いかった慎吾ちゃんの残像が残っていた(←重言?)いたいけな昭和の女の子たちは、置いてけぼりをくらったのではないかと思うのです。
ストーリー性無く繰り返すフレーズ、攻撃的なラップ、鋭いシンセサウンド、突き抜けた踊り、怖いヌンチャク、パンキッシュな衣装、Noスマイル。「女子どもの嬌声はもう要らねーぜ、ついてこれるヤツだけついてこい!」と慎吾ちゃんが思っていたかどうかは知りませんが、ちょっと突き放された感じがしたのです。
“アイシテル” と公開宣言 CX 1985
私は『週刊欽曜日』を定期的に見てなかったから慎吾ちゃんが新曲披露で歌番組に出るたびに一瞬「これ誰?」と思ったものですが、この時はさらに。『僕 笑っちゃいます』からたった2年。変わりすぎ、というか、こっちが本来なんだろうけど。このお方、短いアイドル期の間でかなりお顔が変わっていました。今見てもそう思う。印象だけじゃなくて顔が変わっているんですよね。
で、この時期に特に大人っぽくなっていて。前曲『涙の take a chance』がヒットして世間に認められたという自信が彼をオトナにしたのだろうか。あるいはプライベートで何かあったのだろうか。色気を帯びている。ちょうど同じ時期晃司クンが『にくまれそうなNEWフェイス』を歌っていたのだけど、デビュー当時初々しかった彼もこの頃ぐっと垢抜けた。それで私の母性本能が働かなくなったんでしょうね。おネツが引いてしまいました。
日本の歌手を紹介している外国のサイトで、デビュー間もない慎吾ちゃんについての和訳コメントに「少年気が強いでしょ! 本当に素敵な見た目です」とありました。「少年気が強い…」つまり、少年っ気。茶目っ気とかSっ気の「気」。あぁ、なんだかすごく分かる。慎吾ちゃんの少年っ気。
それは汗と清潔感 magazine h 1983
そんなおぼこさのふたりが好きだったから、これらの曲をもって私は彼らから卒業してしまいました。なので次の『泣き虫“チャチャ”の物語』と晃司クンの『RAIN-DANCEがきこえる』の記憶がなくて。
はがきによるベストテン TBS 1985
彼は時代を先取りしすぎました。昭和は慎吾ちゃんについて行けませんでした。生き急ぐかのように急に大人になって、セミが命を燃やして鳴くかのごとく一気に突き進んだ。何が当時の慎吾ちゃんを急かしていたんだろうか。
☆彡
【追記1】『BEAT ON PANIC』の衣装デザインにH.Gが関わっているけど、夜ヒットでの赤い衣装がそうかどうかは不明。バックダンサー及び同日出演のキョンキョンはそのブランドの衣装を着ています。
【追記2】夜ヒットにはこの曲でもう1回出場していて、2回目の方が歌唱が安定しています。当然歌い終わったあとゼイゼイ。衣装が赤ジャケットに黒ボトムの回で、事務所の先輩高田みづえさんの引退歌唱の夜でした。
【追記3】振り付けの構想は曲ができるずっと前から頭の中にあったそう。最初からヌンチャクを使うつもりでいて、着想は「ニューヨークではけっこうブレイクダンサーが使って踊っている」からとか。「新しい波でブームになるかと思ったらニューヨークではブレイクダンスほどはウケなかった。」慎吾ちゃんは小学生のころブルース・リーに憧れてヌンチャクを手作りして真似した経験あり。それでもステップやターンをしながら振り回すから、当たると痛くてアザだらけになったそうです。