慎吾ちゃんは21世紀のマーティ PART2
⇒ PART1 からのつづき
30年前の1984年に送り込まれたタッチンは、立ち寄った原宿のブロマイド店でカザミシンゴが人気アイドルだということ、また、元ホコ天パフォーマーで運動神経が抜群なことを知る。そうだ! コイツに乗り移ってテレビでブレイクダンスを踊って日本に広めよう、と思い、翌日赤坂のテレビ局の玄関でシンゴが来るのを待ち伏せ、出会い頭に「えいっ」と乗り移る(そういう能力も飼い猫から与えられていたということにしておいて)。
タッチンに乗り移られたシンゴは、その日番組スタッフからバラードの新曲を出すと言われたとき、「実は自分、こんなダンスをやりたいんです」と告げ、萩本欽一やスタッフに踊って見せる。最初みんな「何だそれ?」みたいな反応だったけど…
シンゴの熱意が通じ、急遽新たな曲を作ってもらうことになった。
そこで生まれたのが『涙の Take a chance』。最初は「何! あのヘンなダンス」と思われたけど、斬新でアクロバティックな動きが視聴者に衝撃を与え1985年の年明けに大ヒット。タッチンの思惑通り昭和日本の隅々に広まり、小さな子供たちにも浸透させることができた。
大ブームを見届けたタッチンはシンゴから離脱し、2014年に帰還。21世紀に帰ってみるとローラースケートは見る影もなく、日本はブレイクダンスの先進国になっていて世界をリードしていました…とさ。 おしまいおしまい。
☆彡
さぁ、これでどうよ! もしこれが1985年←2015年だったら次作『PART2』と年がピッタリでパーフェクトだったんだけど、1年早くズレました。
でも、ホント、マイケル・J・フォックスと会っていたまさにその頃、彼が演じた役割を慎吾ちゃんが実世界で果たしているということに、神秘的な遭遇というかなんというか…、時空を超えた壮大さを感じるのです。
☆彡☆彡
マーティーのギター演奏はそのうち暴走していき、ジミヘンよろしく背中で弾いたりのたうち回ったりして最後には皆のひんしゅくを買うのですが、その様子は慎吾ちゃんが夜のヒットスタジオで『BEAT ON PANIC』を踊る姿とそれをテレビで観ているいたいけな少女たちの反応と相対しています。
マーティーも慎吾ちゃんも、時代を先取りしすぎました。