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ブレイクダンス界の野茂か伊藤か

⇒前回の「共通一次とブレイクダンス」のつづき…

「僕はこういう世界に入る気持ちはまったくなかったんです、実は。どちらかというとなりたくなかった方ですね。」「自分がレコード出しちゃっていいんですか? 知りませんよって感じで、何か悪い気がしちゃって…」
風見慎吾 Oricon  1983

歌やダンスを期待されてタレントになったわけでなく、元々劇団の台本作家をやっていただけで芸能界に入りたかったわけでもないのに、なまじお顔が可愛かったために人気が出てアイドルになってしまった慎吾ちゃん。

「僕自身、自分のことをアイドルだと思ってません。それで歌に対してもホントに消極的でした。そしたらレコード会社の方が “いや、慎吾君ね、世間一般はそんなこと認めないんだよ” とおっしゃって(笑)。一生、レコードなんて出す気はなかったんですけどね。」   風見慎吾 Oricon 1985

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なまじお顔が可愛かった台本作家 shueisha 1984

歌手活動は受け身で始めたけど、4枚目のリリースにあたって「自分はこれがやりたい!」と自ら行動して展開してヒットさせてブームを巻き起こした。まだ若干21-22歳だったのに、とてつもない努力と能力だと思います。

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実は身体より頭脳の方に自信あり shueisha 1985

とても多面的というか、引き出しが多いというか、多才なんだなと。その中でもS級才能のダンスをもっと生かせる土壌が当時あったら、その後また違った展開になっていたのかなと思うのです。まだパフォーマーという概念や在り方が芸能界で確立されてなくて、とにかくまず歌手でいなければならない時代だったし。革命児として新しいジャンルやスタイルを切り拓き後への流れを作った貢献は計り知れません。アイドルとかスターとかタレントとかいうより、子供たちの「ヒーロー」だった。そして令和ではレジェンド。

「小学生が教室でブレイクダンスをやってるって話を聞くと、異常にうれしいよね。だって、僕が子どものころは仮面ライダーがはやってて、よくマネしたもん。それと同じ。ボクはもっともっと過激なダンスで、子どもたちのキン肉マンになりたいのさ。」 風見慎吾 shueisha  1985

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キン肉マンより矢吹丈 kodansha 1985

さしずめダンスシーンの野茂英雄ってところでしょうか(このお名前自体が「未開の地のヒーロー」ってなんかすごい)。 瞬間的な輝きや話題性、切れ味の鋭さは伊藤智仁っぽくもあり。あ、でもカープだから敏捷性とルックスとモテ度で時代的に高橋慶彦かも。今だったら菊池涼介? あの身体能力だったらカープの1番ショート2番セカンドぐらい余裕でいける。ブレイクダンスで野球やってるけど、パリ五輪もうこれで ↓ いいんじゃないかと。

「五木ひろしサンが “いーなあ、みんなで汗かいて。慎吾クンたちが出てくると、そこだけスポーツ番組になっちゃうよ” って言ってた。スポーツに負けない汗かいて、スポーツ以上の爽快感!   道具なんかいらない、審判もルールもいらない、音楽さえあればいい。

とにかくびっくりした。仕事柄今までいろんなパフォーマンスを見てそれなりに感動することはあったけど、あれほど新鮮な衝撃はなかった。全く新しいものが入って来た瞬間を目の当たりにできて、80年代を生きててよかったと思う。

ポケーッと見てないで、キミもやってみたら?」 風見慎吾 shueisha 1985

80年代という時代があまりに充実してて目まぐるしくて、それを超える勢いがなかなかないご時世だけど、その時代時代での輝きがあるはず。あれから35年。2020年代もまた新たな輝きがあるのでしょう。

これにて連載おしまい。


☆彡


【追記】ブログを読んでくださった方から以下のコメントいただきました。

「涙のtake a chance」は「トーナメント戦に挑む高校球児」みたいに思えます。80年代的に言うと数多の強豪校に対し一人で投げ抜く荒木大輔投手のような。終わりを意識したときの刹那の哀しさ。荒木選手は野球選手として、慎吾ちゃんはアイドルとして、多くの人たちの記憶に残る、輝きを放っていた存在だと懐古する次第です。 Kさん 2021/1/19