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日本ブレイクダンスの「第一人者」

約20年前、新旧のヒット曲を紹介するテレビ番組「速報!歌の大辞テン」に慎吾ちゃんが出演した時、彼はこう言いました。

テレビで初めてムーンウォークをしたのはトシちゃんです。ブレイクダンスは(アイドルグループにいた)SAMさんです。両方僕じゃありません。」 

そのオンエアを見た時、「へぇそうなんだ。でも、他者をリスペクトし花を持たせる慎吾ちゃんの正直で謙虚なところがいいな」と思いました。視聴者もそう思ったでしょう。

でも最近になって、もしかしてこの発言って実は、慎吾ちゃんのイジワルによるものだったのでは? と思う次第です。

なぜか。それは前回言及したように「いや、早かったのかもしれないけど、この程度じゃあ…。早けりゃどんなでもいい、ってもんじゃないでしょ」と人々に認識させるよう仕向けた深い計算だったのかも、と。「この完成度で胸張って “やった” と言えると思う?」みたいな。

一方、冒頭のように慎吾ちゃんが発言したため誤解する人達がいて、世間で慎吾ちゃんが「日本のブレイクダンスの第一人者」と称されるたびに、「一番初めはSAMだよ、風見さん本人がそう言っていたよ!」と鼻息の荒い子供のような反論がちょくちょく起こるのです。

第一人者とは、単に「テレビで初めて」とか「一番先に」とかではなく、「最初期に最も影響力があった人」。

芸能人であるならば真っ正面から勝負に出て、できるだけ多くの人々に「おっ、何だコレ? 凄い!」と思わせる必要があります。

感性の鋭い慎吾ちゃんは人の心の掴み方を知っていました

「なんてったってボクが感動したのはグラミー賞でのハービー・ハンコックの『ロック・イット』! あのステージには、ボクちゃん心底ブッとんじまったぜ。そーさ、そーなんだっ。ステージってのァ、こうでなきゃ!」
風見慎吾 shueisha 1985

1984年夏 ブレイクダンスツアー

見る人をあっと言わせるには、中途半端にポツポツと取り入れるのではなく独自の世界が創れるほど自身を高めておくこと。そのために慎吾ちゃんは孤独な練習を繰り返し、一緒にステージで踊る仲間を自分で探し、コンサートツアーで実践を重ね、ディスコ通い腕を磨いていました。そうすると必然的に訪れる、千載一遇のチャンス

「ボクの新曲、ほんとはバラードに決まりかけてた。ボクは初めて大将にさからった。“やりたいことがあるんです、やらせてください” って、みんなといっしょに大将の前に行って、ブレイクダンスを見せたんだ。そしたら、ひとこと。」 風見慎吾 shueisha  1985

“ スゴイねー、慎吾ちゃん。やってみたら。”

先に全国ツアーのステージでしっかり場数を踏んでいたからこそ、テレビで踊ったときに付け焼刃でない本格的なブレイクダンスを降って湧いたように披露することができたのです。

昭和の視聴者は慎吾ちゃんの突然のダンスに度肝を抜かれましたが、それにも増して、コミカルソングを歌う可愛らしさで有名だった慎吾ちゃんの新たな側面にぶっ飛びました。

「我々は風見慎吾さんのこと、甘く見積もっていました。すごい優しい、ただの可愛らしいアイドルだと思ってたんですけど…

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ただの可愛らしいアイドル NEW YEAR マイハート 1984

… この人、めちゃくちゃフィジカル強い方だったんですよ。しかも、あとで発覚したんですけど一世風靡の人だったんですよね。ブレイクダンスとかを歌謡曲のフィールドで取り扱うなんて、まさか風見慎吾さんがやるなんて思ってもみなかった。」 
マキタスポーツ 「ザ・カセットテープ・ミュージック」  BS12  2020/4/12

既に培っていた知名度と衝撃的な踊りで全国の視聴者を引き付け、日本全土にブレイクダンス、つまりストリート系ダンスを知らしめた初めての存在となりました。

SAMは80年代のメジャーシーンではほとんど、いや全く知られていません。チャンプとかリフラフとかいうアイドルグループの一員だったそうですが、私、当時明星平凡を並行して読んでいたけど見たことないし、歌番組でも見たことないです。アイドル歌番組に出ていたようですが、全く覚えてない。大衆ってそんなもんです。当時はランキング歌番組が花盛り。「ザ・ベストテン」に出るぐらいでないと、一般に認識されることはまずありません

過去動画で彼らを見てみると、踊りが上手いのかもしれないけどパッとしてない…。引き付ける世界観がないというか。だから印象も存在感もなかったんだと思います。衣装も髪型も「えぇ…」って感じで。昔のセンスを現代から見ると「ダサい」と思いがちですが、当時でもそうだったんだろうと思います。(ファンだった人、ごめんなさい)

だから、後年になって慎吾ちゃんが冒頭のようにわざわざ発言することで人々を彼らの過去に誘導し、実態を知らしめようとしたんじゃないかと。「まぁ ‘初’ と言っても、この人たちってこの程度だったんだけどね」って。腹黒いダークサイド慎吾ちゃん。

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NEW YEAR My Heart Concert 1984

なーんて! このころはまだ動画サイトなどほとんど整備されてなくて過去を掘り返せる環境になかったし、ホント純粋に慎吾ちゃんの彼らへの配慮による発言だと思います。だって慎吾ちゃんは奉仕の精神で社会や人類のために貢献するよう育まれたミッションスクールGI出の御子だもの。他者への敬意を示すことが人類社会に、そして自分自身にとっても有益であるとの考えなのです。うーん、深くて尊い


Be men for others, with others  Hiroshima Gakuin


でもせっかくGI校に行ったのに勉強せず、映画観たりディスコに行ったりと遊びまわっていたそうですが。八丁堀で。

ちなみにSAMさんをブレイクダンスの文脈で語るのなら、路上やディスコなど非ステージの人なんだと思います。昔私がダンスの仕事をしていたとき、「東のSAM、西のSAKUMA」というフレーズを聞きかじったことがあるので。そこでは80年代の第一人者のひとりだったのでしょう。メジャーシーンにおける彼の位置づけと大衆の認識は「90年代に小室ファミリーの人気グループで踊っていて、安室奈美恵さんとの結婚で名前が知られた人」。

ということで、慎吾ちゃんは間違いなく日本におけるブレイクダンスの第一人者であり、革新者であり、立役者であり、草分けであり、火付け役であり、伝道師であり、ザビエルであり、パイオニアであり、野茂英雄であり、伊藤智仁、高橋慶彦、菊池涼介であり、甘いマスクで女の子に大人気だった荒木大輔です!