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時代への貢献 トシちゃんと慎吾ちゃん

テレビ朝日「ダンスな会」を観ました。昨年3月に続き第二弾。70年代から現在に至るまでのダンスを年代ごとに紹介していました。

気づく人は気づくと思うんです。なんとも言えない不自然な感じを。

なぜ…トシちゃんが…出てこないの?

前回も紹介されていませんでした。80年代マイケル・ジャクソンの流れでピックアップするなら外せないはず。

80年代枠のしょっぱなに少年隊が出て来ることに少々違和感…。ジャニーズなら当然、その前にいるでしょ、ダンスの重要人物が。

「 歌って踊ったら誰にも負けない自信もあったからさ 」   田原俊彦
Bunshun Online 2020/12/13

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magazine h  1984

彼こそ踊るミスター80年代

☆彡

前回に引き続き、慎吾ちゃん登場。

でも、また前回と一緒の映像。しかも同じくサビまでのダンスだからブレイクビーツでの見せ場やアクロバットがなくて、画的にいまひとつでした。

当時テレビ朝日には歌番組がなく、TBS「ザ・ベストテン」「週刊欽曜日」やNTVの「トップテン」のようなパフォーマンス映像を局が持っておらず、「歌謡ドッキリ大放送」の録画しかないのが残念。ただ、ルックス的にはその時点がベスト。

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shueisha 1985

あと、慎吾ちゃんはどうしてもブレイクダンスの文脈で語られますが、真の功績はもっと深いところにあります。

「ブレイクダンスを普及、っていうか、みんなで楽しく踊ろうよと、そういう意志の伝達をやりたいんですよ。」「みんなで踊ればこんなに楽しいんだよ、っていうのをわかってほしいんです。」 風見慎吾    BP New Year 1985

当時、たいていの人にとって踊るという行為は「小っ恥ずかしい」ことでした。リズムに乗って全身を動かすのを見られることに抵抗があったのです。運動会のフォークダンスでは照れ隠しでダルそうにしたり。特に男の子には日常で踊るという文化はなく、女の子や小さな子供がすることだという風潮がありました。テレビで見かけるジャニーズなどの王子様風ジャズダンスに憧れることもなく。そんな空気の中、慎吾ちゃんは日本の若者に踊る喜び、リズムに乗る楽しさを伝えました。

ポケーッと見てないで、キミもやってみたら?」 風見慎吾  shueisha 1985

ダンスを実践するものとして見せ、その可能性を広げ少年たちに新しいワクワクをもたらした。それこそが彼の功績です。

行動を起こして好奇心に対する当事者になってほしい」という想い。

キミだって絶対できるよ!」 風見慎吾  shueisha  1985

ダンスのレッスンを受けたことがなく、自発的に踊り始めたからこそ芽生えた想いでしょう。

自身の恵まれた才能を生かして。ノブレス・オブリージュ

☆彡

この番組を観たら分かると思いますが、ほとんどが群れているんですよね、踊っている人たちは。

しかしながら、たったひとりの主役としてバックダンサーを従え、人々の視線を一身に浴び歌い踊った勇者が80年代にいました。田原俊彦と風見慎吾