慎吾ちゃんの情熱は時空を超えて
前回と前々回、時をかける少年慎吾ちゃん物語を書きました。21世紀からやって来て、昭和の日本で必死にブレイクダンスを踊ってみせる慎吾ちゃん。
ダンサー/振付家のTAKAHIRO(上野隆博)さんは、20世紀末に慎吾ちゃんのダンスの過去映像を見たのをきっかけにダンスを始めたそうです。
それまでの人生の18年間はダンスなんてしたことはなく、内向的でラジオを聴いたり空想の世界にふけったりして過ごしていたそう。
それがたまたまテレビで慎吾ちゃんの『涙のTake a chance』を見た瞬間、「コレだ!俺はコレがやりたい!」と。
ビデオに録画した慎吾ちゃんの踊りを見よう見まねでダンスの練習。そして大学構内の片隅で踊っている人たちに思い切って「仲間に入れてください」と声をかけて。元々知らない人に話しかけるような度胸はなかったのだけど、勇気を振り絞って一歩を踏み出したんだとか。
これって、慎吾ちゃんのいきさつそのまんまではありませんか。
慎吾ちゃんも高校時代特にダンスをしていたわけでもなく、ディスコで踊る程度。普段は映画を観たりパンクロックに夢中になったり。
大学生の時にホコ天で哀川翔らがローラーやっているのを見て、いきなり「仲間に入れてください」って頼んで。それが後の芸能界入りに繋がって。
1983年公開の映画『フラッシュダンス』のブレイクダンスシーンを見て、「コレだ!自分はコレがやりたい!」。
そこからニューヨークで入手したビデオで見よう見まねの「独学」。用意されていた新曲の方針に逆らい、思い切って大将に「やりたいことがあるんです、やらせてください」と直訴。テレビで踊りを披露し、昭和の若者たちに衝撃を与えました。
平成の若者TAKAHIROさんも、慎吾ちゃんが踊るビデオを見て「独学」。ダンスに打ち込める自由な学生生活が終わりに近づいたころ、ある思いが芽生えました。
ダンスをあきらめる前に世界に挑もうと、大学卒業後ニューヨークへ。結果、アポロシアターのコンテストでマイケル・ジャクソンが持つ優勝記録を抜く快挙。TAKAHIROさんはその後マドンナのバックダンサーなどで踊り、ニューズウィークの「世界が尊敬する日本人100」に選ばれるほどの活躍をしました。
慎吾ちゃんはMJとマドンナが大好きでした。彼も若いころ世界に挑んでみたいという気持ちを持っていたはずです。
20世紀にニューヨークから仕入れたダンスの種を慎吾ちゃんが日本中に蒔き、日本で育んだダンスをTAKAHIROさんがニューヨークで花開かせた。
TAKAHIROさんが21世紀に仕掛けた 'Take a chance'。
少年の熱き思いが脈々とつながる神秘。真っすぐに突き進む魂は時空を超えて地上で永遠。
☆彡