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ブレイクダンス伝道師と野球

以前、ブレイクダンスと野球について書きました。このたびは、その伝道師と野球について書きたいと思います。

「得意なスポーツは宙返り。も、これしかないスよ。ニガテなのは野球。なんでもしゃしゃり出るタイプなもんで、チームプレーがニガテなんスね。」
風見慎吾 shueisha 1983

最近慎吾ちゃんネタが続いております。祝パリ五輪というのもありますが、アイドル期が短かったからネタが絞りやすくて。晃司クンとはしばしサヨナラ。その代わり「浩二さん」にお出でいただきます。

慎吾ちゃんがカープファンどころか、1975年広島市民球場の乱闘試合で星野仙一投手に砂をどうのこうのも有名すぎる話。(↓ こんな感じの試合)

少年時代、外木場投手にキャッチボールしてもらったとか、衣笠選手には怖くてサインもらえなかったけど後年たくさんもらったとか、親父が飛ばすヤジがすごかったとか、カープネタありすぎ。

「やっぱり野球はカープですよ。来年こそ日本一になってほしいな。ガンバレ山本浩二、ゴーゴー衣笠。巨人なんてなんぼのもんじゃい!北別府投手のあのまっ赤なホッペといい、団しん也そっくりの山根投手といい、カープはサイコーね。」 風見慎吾 shueisha  1983

元祖二枚目選手、レコードも出した高橋慶彦さんと飲み友達なのはカープつながりと思っていたけど、零心会仲間の野々村真クンが実は慶彦さんの高校野球部後輩にあたるというルートもあるから、当時慶彦さんと真クンと慎吾ちゃん3人で飲みに行ったりとかしたのかなー。何かの番組の企画で慶彦さん率いるチームで慎吾ちゃんが1番セカンドをやっていたような気がする。

アイドル時代は一世風靡メンバーを率いて野球チームを作っていて、嶋大輔クンチームと後楽園球場で対戦。大輔クンは「Y校レベル」と自称していたけど、本当にそのくらい上手かったらしい。体格いいもんね。慎吾ちゃんはへろへろ投球。でも慎吾ちゃんチームの勝利。このころカープの黄金期で、1984年には日本一に。

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shueisha  1984

しかしながら、90年代以降は20年以上に渡る暗黒期へ。途中存亡の危機もありました。思い出深い市民球場とさようなら、明るいボールパークでユニフォームも洗練され、若くてイケメンが多いことに世間が気づき女子がキャーキャー、ついに第二次黄金期のクライマックスを迎えます。

某俳優さんの証言によると、2016年の交流戦を観戦していたしんごちゃん、劣勢で、浩二さんに「もう★だろうから、切り上げて飲みに行こーいね」と言われ、鈴木選手の「神ってる」逆転サヨナラホームランを見ずして途中で帰ったそうじゃないですか!  私はちゃんと見届けましたよ、現地で。3万人が一斉にどよめき、誠也クンがスターになったあの世紀の瞬間を見逃したなんて、なんとまあお気の毒なことです。浩二さんなんてほっとけばよかったのに。例の乱闘の時だって、ヒット打った浩二さんに打点が付かなかったから怒って乱入して星野さんに砂投げたんでしょ、って違うか。

この年に四半世紀ぶりのリーグ優勝、そこから三連覇。

さて、浩二じゃなくて晃司じゃなくて真司さん! 来年こそ必ず日本一を!! しんごちゃんの親友なんだから。


☆彡


【追記】
慎吾ちゃんが暴れカープが初優勝した1975年、広島でハービー・ハンコックが公演、その時原爆被爆者に捧げるピアノ曲を作っています。なんかもう、巡り合わせが素晴らしすぎて…。