見出し画像

80年代ソロアイドル男子のオヤジたち

すっかりダンスネタから離れてきておりますが、前々回「お母さん」をテーマにしたので、このたびは「お父様⇒オヤジ」で書いてみたいと思います。前々回同様、マッチはスルーします。全然知らないし、そもそもダンスアイドルじゃないし。

☆彡

トシちゃんのお父さんは、まだ彼が幼いころご病気で亡くなられたんですよね。確か学校の先生だった…? そのため生まれ育った横須賀からお母さまのご実家のある甲府に移り住んだとか。横須賀でお父さんによく海に連れて行ってもらったのを、幼いころのかすかな記憶として覚えているそう。私が知っているエピソードはこのくらい。

☆彡

親父、俺は将来ホンダに入る。 それがだめならヤマハに入る。 そして立派になって金を稼いで、いつか親父にポンポン船を買ってやるよ。 ー

慎吾ちゃんのお父さんは、当時コンサート等のトークでしょっちゅうネタとして出てきていたらしい。町工場の経営者で厳格で、芸能界入りも大反対していたそう。でも許すようになって、ザ・ベストテンで黒柳徹子さんと電話で話せて喜んでいたりと楽しい面も持ち合わせていたみたい。頑固で豪快。理髪店で「慎吾はワシの息子」と言っても信じてもらえず喧嘩して帰り、家に来た追っかけの女の子にカツ丼をご馳走しレコード販売促進に努め、トシちゃんやマッチがテレビに出てきたら「ワシの息子も出せ」と画面に抗議。慎吾ちゃんにはこう言ったそうです。「家業を継がなくていい、親孝行しようと思うな。自分の選んだ道をやり通せ。絶対におまえに迷惑をかけないから、いつか自分が作るであろう家庭のことだけを考えろ。」

「ついこないだも、吉川晃司クンのお父さんとゴルフに行ったらしいんだ。“同じ広島出身の、ビッグスターの親同士じゃけん、ぜひ会っとかんにゃの!” とか、なんとかいっちゃってさ。」  風見慎吾 shueisha 1984

さあ、真打ちの晃司クン。お母さんネタは全然知らないので書けなかったのですが、お父さんについては結構語っていました。板前さんで、広島男共通の特徴なのか、慎吾ちゃんのお父さん同様厳格頑固。晃司クンが絵のコンクールや運動会などで銀賞や2位だったら「1位じゃないなら、こんなもの見せるな。1位以外はドベと一緒。」と言って賞状などポーンと投げ捨てていたとか。いかにもキッカワ親父。幼いころからステレオの前に座らされて、なぜかビートルズを聞かされていたそう。周りの友達たちが仮面ライダーやアニメソングを歌っている年代に。でも振り返ると、いい体験をさせてもらったと。晃司クンに音楽の洗礼を受けさせ初期段階で影響を与えた偉大な趣味人間だったのかもしれません。最初は芸能界入りを猛反対したそうですが、晃司クンの気持ちを理解し最後には納得してくれたそうです。

☆彡

広島オヤジ達にはキョーレツなエピソードもいろいろあったようで、なかなかロック、しています。さすが、あの息子たちの素地を作ったお父様たちですね。