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近藤誠著「大学病院が患者を死なせるとき」を読んで

注釈:私は、基本的には標準治療は受けるべきだと思っております。現代では、本書を参考に治療に関する決断をすべきではないとも思います。ただ、末期や終末期と言われる状況に関わる際の自身の考えや気持ちの整理には、大変有用かと思います。なお、コミュニケーションや文化に関して理解を深めるにも、非常に有用だと思います。

あれ? 何故、この本を買ったんだっけ?

結局、まだ過去に縛られていそうだなぁ。

2年前くらいからの約2年、正直PTSDでセラピー受けた方がいいと思うわ。

額は送料込みで300円程度だったこの本の表紙は、慶應病院の写真が飾っており、インパクトが強い。

「大学病院が患者を死なせるとき」という驚愕するタイトルの真横には、それを暴露しながらも「大学病院を辞めない理由」と締められている。

現役の大学病院の勤務医が何かを語っているが、それでもポストを守っているようである。

これは、一体どのような内容なのだろうか?

本の内容にも興味があるが、筆者にも強く興味を持った。

実際、白血病治療で、国間での認識や対応の違いに戸惑いも感じている。

何故って!?

地域によっては、白血病の移植後再再発に対して移植はしないのが当たり前だとされている。逆に、二度、三度と移植を重ねるのが当然だとする場所もある。

前者の考え方は、既に幾度となく大量抗がん剤を投与し、移植をしても長期寛解できない症例において、もはや癌が耐性をつけたであろう抗がん剤を大量投与することは、死期を早める行為だとされる。あまり効かないのだとすると、その副作用は、ただただ最期を辛いものにするためだ、と。

しかし、実際には、二度目の同種移植をして、長期寛解をしている人もいる。

仮に数ヶ月や数年だとしても、その時間が大変貴重だとされていることに加えて、一部に寛解できる人がいるのだから、その可能性に賭けるべきという考えもある。

しかし、三度目、四度目と移植を重ねた場合、通常は長期寛解は見込めない。それでも、移植をしなければ、100%命が保たないから、移植をするしかない、という者もいる。

しかしながら、治療をしない場合には、予想される余命が数週間程度の患者に対して、大量の抗がん剤や放射線を用いた治療(造血幹細胞移植を含む)に踏み切って間もなく、命を失ってしまった方々も意識に深く刻まれた。

治療効果が期待されないにも関わらず、その治療によるダメージが高いことは確実な場合、その投薬は、本当に「治療」になるのだろうか?

何故、「最後まで闘う」ということが好まれる風潮があるのだろう?

確実に最期を迎えることが予想されるのであれば、それをより穏やかに、幸せに、愛する者達に囲まれて迎えるということの方が時間や微かな可能性よりも大切と考えるのは......?

正答はないにせよ、私の中で自身の考えをもう少し明確化したい。

すると、どういう考え方があるのか気になる。

これは、自問自答だけしていても、答えは出ない。

沢山の意見や情報と接したい。

加えて、この本は私が購入を検討した時期には、メルカリでは全件が購入済みで新たには買えない状態にあった。

何故?

考えた理由は二つ。

(1)不都合な真実が綴られている

(2)古いから、もう出回ることが少ない

いずれにしても、癌の専門医が癌治療にあからさまに牙を向いた執筆内容と、そのような反逆行為でも病院に勤務し続ける才に興味を抱いた。

残念ながら、まだ読み終わってはいない。

しかし、今の医学が過去から学んだことの上に成り立つことはヒシヒシと伝わる内容である。

当然ではないか。

そう。

そんなことは当たり前。

皆が日々精進している。

成功にも、失敗にも学ぶ。

こうして、日々進歩していくのがサイエンスでもあり、医療でもあろう。

それでも、今までは聞き齧った歴史を克明に、当事者視点で、当時の現状と心理をリアルタイムに感じながら読むことも大変有意義であろう。

今は常識とされている医療が、いつしか覆される可能性も視野に入れて、日々謙虚な気持ちを持ち続けなければならないとも、強く感じた。

もう一つ、この本から学べる大切なことがある。

それは、文化だ。

正直、内心強い疑問を抱く空気や風潮というものはある。

各々の国が各々の文化を持っていて当然だ。

私はまだまだ慣れていないことが多い。

そして、国内でも、かなり地域差があるようだ。

日本ほどの大国ならば、それも当然なのだろう。

場合によっては、一体全体、何故? と反発心を抱かずにはいられない慣習がないわけでもない。

同時に、一時的にコミュニケーションを放棄してしまった自分が、再び自分らしく意思疎通を図る足掛かりも欲しい。

もちろん、時代劇から抜粋したような場面など、もはや、そうそうない所も多々あるだろう。

しかし、過去の文化を知ると、今疑問に思ってしまう雰囲気に納得する場合もあるようだ。

タイトルは衝撃的だが、暴露本ではない。大学病院の裏の罪や矛盾、白い巨塔のような院内政治の代償として失われる命を暴露する本ではない。

むしろ、今なお引き継がれる医学の姿勢、過去の実態、そして当時の医学会のカルチャーを描くことで、貴重な歴史書になっていると思う。

患者として、何か戸惑う場面があったとしたならば、もしかしたら、より円滑なコミュニケーションや誤解の解決の足掛かりになるかも知れない。

もちろん、治療内容は前時代的なものが多い。だから、医学の現状ではなく、当時の医学と業界の文化的背景を学ぶ本と割り切って読むのが妥当だろう。

この目的のために読むならば、今でも強く賞賛されるべき本だと思う。

注釈:繰り返しますが、私は標準治療を受けるべきだと思っております。現代では、本書を参考に治療に関する決断をすべきではないと思います。ただ、末期や終末期と言われる状況に関わる際の自身の考えや気持ちの整理には、大変有用かと思います。なお、コミュニケーションや文化に関して理解を深めるにも、非常に有用だと思います。

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