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「メイク・ア・ウィシュ 夢の実現が人生を変えた」を読んで思います。
奇跡のようなような本に、出会えました。山元加津子さんのメルマガの紹介で知りました。「最後の大野プロジェクト」「メイク・ア・ウィシュ 夢の実現が人生を変えた」
何か直感がありました。すぐに読むべきだと直感しました。
アワテンボウの私は、本の購入依頼をしたにもかかわらず、Kindleにもあることを知り、そちらでも購入してしまいました。読んでみて、みんなの優しさ、そして子どもたちの夢がそれを動かした
本には交流がある 戯作Pー13 河口ー2
川と海が交流する河口、その中でも潮汐で最初に交流がはじまる川口の光景。
海の水平線を見つめているのも想いが広がりますが、私は波打ち際の渚が大好きです。波の寄せ波、返し波のリズムが大好きです。
大好きな浜は汀の手前に小高い砂山がある。砂山を越えると、そこに海がとつぜん映画の場面暗転からのように明け、現れる。
その時、不思議に私は自由になったような解放された気持ちを持つ。ひとりで、げらげら笑ってしまう
本には交流がある戯作Pー12 河口のことー1
つぎは、海と繋がりが深い河口のことです。
深山から河口へ。
はじめは、岩石が川の旅を続けながら礫となり、前浜では波によって、砂や泥にまで細かくなり、前浜干潟、川干潟、三角州という生き物の、ゆりかごをつくる。潟は生物の食物連鎖のスタート地点かもしれない。底生生物のゴカイたちが、魚が、鳥がいて、またそれらを食べる私達がいる。
河口付近に点在している川の中の島々に見える中州も、自然の必然の造形として、生
山元加津子 著 「宇宙の足跡」を読みました。
(あきらくんのお兄さん)とは、誰なんだろう?と思ったのです。名字で呼ばれるより、名前で呼ばれるより(あきらくんのお兄さん)と呼ばれるのがうれしかった、という。弟が生まれたことが嬉しかった、というのは、そこに愛おしい、たいせつにしたいつながりだと思いが、わきあがってきたのでしょうか。
それでも、私は思うのです。(あきらくんのお兄さん)は本当は、いったい誰なんだろうと.....。
山元加津子さんの初め
本には交流があるPー2 戯作11 縄文海進
下流部の景色。
一面の田園地帯を大きく蛇行しながら広い河川敷をともないながら河口に向かって流れる川しもの景色です。
高い堤防に守られ辺り一面に田圃が広がっている光景ができる前は、いったい、どんな所だったのだろうと、子どもたちに混じって図書館で学んだ知識を元に老人は空想、夢想する。老人の遊びとしては面白い。
遙か遙か遠い縄文海進のころを想像する。そうだ、ここは黒潮が列島近くをまっすぐに流れていた温暖
本には交流があるP2ー戯作10
いよいよ里川に入ってきますが、これは私だけでなくコアの記憶の時間の光景とも言えます。
山渓から平野部に流れていく水勢は川はばを広げ、おおきく蛇行して大淵を作り、さまざまの生き物の住処をつくり、岩を淵に沈め、石たちは更に転がりながら丸く小さくなって下流に河口に向かって旅を続けます。
川原に一休みしている小石は、子どもたちが、ときには石は水よりも軽いことを実験、証明できる遊び道具になります。
水切り
本には交流があるPー2戯作9 二重人格もOK
図鑑も絵本のひとつと面白いと楽しんでいる自分に気づいて、思ったこと。
植物のしくみ、動物のしくみ、天気のしくみ、宇宙と地球、生死のしくみも、小学生の素直な好奇心で読めば、知識というより心の風船が元気に膨らむようだ。
しかし、この男がかつては(自分は自分が作るものだ)などと実存主義の一部だけを信条として我利我利に気負っていたなどとは人は想像もできないでしょう。
実際、この男は正直になつてきていた。知
本には交流がある。まとめ
本には交流があるのPー2を今、綴っていますが、Pー1からの流れで安易にそうしてしまったのですが、どうも違うなと思い始めました。
きれぎれに綴った(本には交流がある)は、ひとつの、まとまりにしたい。というのは、フォローして頂いたり読んでくれている方がいるというのに、少し心配になってきたのです。強気と弱気の振れ幅の大きい二重人格の特徴です。心配というのは、本当に自分の身の丈にあったことを書いたのか?高
本には交流があるPー2 戯作ー8 山道と満天の星 と霧雲
ところで、山道やトロッコ列車の単線路を真夜中に歩いた経験をした人は稀だと思いますが、釣人は、目的の渓へ夜明けまでに間に合うように暗闇の道を歩きます。例えば新月で月は見えません。
けれども、心細くありません。街ではとうてい見られない満天の星が光り見守ってくれているように感じられるからです。
初めて、その夜空を見たとき、人は自分の内の何かが澄みわたって心が解放されるような、古代に戻ったような不思議な(
本には交流があるPー2 戯作一7 渓からの出発
さあ、渓からの出発ですが、その前に私の想像です。
大昔、山々にとてつもない大雨がふりそそぎ、山のはざまの低地に流れ込んで行った。その激しい流れは低地を山際を削り、落差にしたがって岩を礫を土砂を押し流した。次の洪水は大きな水たまりに溜まった土砂を下流に押し出します。水たまりは深くなって淵となります。
次からは淵の出口、淵尻から押し流された土砂、岩で凸凹の山なりの瀬が生まれる。
川は淵と瀬の繰り返し。
モナ森出版の映画[銀河の雫]を見て思う
ネパールのバターランプの灯は(はじめはひとつ)の記憶を照らす標に想える。
宗教成立以前の遥か遠い太古のヒトが他を偲ぶ、涙が生まれ、自己以外のために祈る行為が生まれたとき、天とつながることを知ったのではないか。祈りの時、人は真底、優しい自由な時間を持っているのかも知れない。
もつともつと私達は素直にならないといけないのだろう。
銀河の雫のひとつの星の地球の(はじまりはひとつから)の記憶。心の奥に持
本には交流があるP2 戯作1ー5 コアの物語 溪から河口へ
コアは今は鳥になって遊んでいます。それには、こんな経緯があります。鏡のような川面に空や森の草木が映って、二つの景色があり、水面のそれは少しの漣で、ゆらいで、かたちの変化が面白い。そこへ川下から鳥が飛んで来ました。宙を実際に飛んでいる鳥が水面に映って、うりふたつの鏡の鳥が拵えられました。
コアはこの時を見逃しません。ユカイな遊びを逃しません。
ちゃっかり、映りの鳥になって、水面を飛翔して楽しんでいる