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本には交流があるP2 戯作1ー5 コアの物語 溪から河口へ

コアは今は鳥になって遊んでいます。それには、こんな経緯があります。鏡のような川面に空や森の草木が映って、二つの景色があり、水面のそれは少しの漣で、ゆらいで、かたちの変化が面白い。そこへ川下から鳥が飛んで来ました。宙を実際に飛んでいる鳥が水面に映って、うりふたつの鏡の鳥が拵えられました。
コアはこの時を見逃しません。ユカイな遊びを逃しません。
ちゃっかり、映りの鳥になって、水面を飛翔して楽しんでいる。写しの鳥になっているコア、重さという実体はないけれど、コアの無邪気な想いみたいに、自由に軽やかに飛翔している。(重いと想い)ずいぶん違うなあ。想いは自由。映った鳥は水面で現像され、意味は矛盾する言葉になるけれど、自然のイミテーションとしての(意思)を持ちました。上昇気流に乗って空高く舞い上がり、そこで陽の光と風の流れにまかせて翼を広げ旋回していました。
はるか遠くに青い空と光る海が見えます。コアは海にも友だちがいることを思い出しました。いまは、どうしているんだろう。会いたいな。
この友だちは風船だけでなく紙ヒコーキにもなって、かなたの海に旅だったことを知っています。
なぜなら、コアもその友だちも、元は一つの球体だったからです。その球体は、どんどん分裂して分化していったのです。つまりコアは知っているというより、懐かしいという感情で憶えているのです。まだ会ってもいない友だちに兄妹のような気持ち、同胞のような気持ちを憶えていたのです。
ところで、コアは空をくるくる旋回しながら、まっすぐに海原に行くのでなく、旅路を楽しみたいと考えていた。
そして、にこり、として川の道を選んで飛んでいく遊びを思いつきました。そして、大好きなカワセミの写しとして飛びながら河口に向かって出発しました。


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