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本には交流があるP2ー戯作10

いよいよ里川に入ってきますが、これは私だけでなくコアの記憶の時間の光景とも言えます。

山渓から平野部に流れていく水勢は川はばを広げ、おおきく蛇行して大淵を作り、さまざまの生き物の住処をつくり、岩を淵に沈め、石たちは更に転がりながら丸く小さくなって下流に河口に向かって旅を続けます。
川原に一休みしている小石は、子どもたちが、ときには石は水よりも軽いことを実験、証明できる遊び道具になります。
水切り。
飽きずに何回でも何回でも集中して実験を続けます。向う岸まで水面を、選んだ石が跳ねてとんでいけば、もう名人です。
投げが未熟な子の石に、コアがこっそり変身して水面を跳んで、その子を喜ばせていることは秘密にしておきます。
子どもは思いがけない鮎とりの方法も仲間に
おしえられます。夏の渇水の時期、鮎がひそんでいそうな石を、持っている石で叩いて、鮎は脳震盪、そこで鮎をゲットします。
川での子どもは冒険家。上級生は流木などで小ぢんまりしたイカダを作り向う岸までの渡船がわりにしています。石を積み上げただけの堰の下手の淵の潜りも得意です。底のズンコ(カマツカ)を手作りのヤスでとらえて、昼のおかずです。夕方は瀬で蚊鉤で鮎釣りの達者もいます。小さい子はそれを見て、僕も大きくなつたら、ぜったいやりたいと思うのです。
雨が降ったあとも、子どもは川に行きます。水量が増えた春には、数え切れないほどのマルタウグイが、石堰を飛びこえていく光景を見られるからです。夢を見ているような子どもたちの感動の姿があります。
台風で大水が出たとき、家が流れて来たときには、大騒ぎの中でも、こんなことも起こるんだと知りました。そして、ずっと大きな若い者たちが流木を泳いで集めていく姿に驚き
憧れました。
川との交流は、遊びを超えたような、全身でときめく時間です。
川の水は、そのまま田んぼにも流れます。今と違って自然水路ですから、魚はもちろん、ドジョウ、ゲンゴロウ、メダカ、カエルも田んぼと往来します。田んぼの中で大きな大きな鮒を捕まえることも出来ました。秋には、つぼ(タニシ)を指で探りどりに子どもたちは集合しました。
川の堤を守る女竹の藪も遊び場になる。迷路のような隠れ家を作る名人肌の子もいます。
子どもと川。夏休みの淵は子どもたちが占拠します。飛び込みの練習。もぐりの練習。仲良くなる練習。
そして淵にいる鮎たちを子どもたちが守ってくれていることを鮎釣り師たちは知っています。子どもたちが家路についたあと、淵からいつせいに、瀬に垢を食みにくる鮎がいれがかりになることを。
大人も子どもも川との交流があった時間。
そして、夏休みが終わると川がいつせいに静かになる。淋しくなる。子どもたちのいない川。釣り師は寂しいと感じます。川の夕暮れ時に、とくにそれを実感する。明日も子どもたちがいないんだなと。
夏の川に子どもたちがいない情景は何かが不自然です。








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