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本には交流がある 戯作Pー13 河口ー2

川と海が交流する河口、その中でも潮汐で最初に交流がはじまる川口の光景。
海の水平線を見つめているのも想いが広がりますが、私は波打ち際の渚が大好きです。波の寄せ波、返し波のリズムが大好きです。
大好きな浜は汀の手前に小高い砂山がある。砂山を越えると、そこに海がとつぜん映画の場面暗転からのように明け、現れる。
その時、不思議に私は自由になったような解放された気持ちを持つ。ひとりで、げらげら笑ってしまうこともある。おかしいかな、でも本当だから仕方がない。

大潮のときが顕著ですが、引き潮が終わったあと、河口の前の海は、いっとき本当に静寂な時間がある。というより時が止まったような気配。向う岸に渡渉できてしまいそうな川口の浅瀬にアオサギが一羽、魚が近づいてくるのを待って、杭のように立っている。その杭は水面を見続けている。けれども獲物を捕らえる前に、その時は来た。アオサギは何かを感じたように飛び去った。
潮がうごいた。
一瞬にして、轟としか言えないように川口めざして、潮波が洪水のように入ってくる。大きな魚の背も見えるときもある。魚たちはこの時を川口近くの波の中で待っていたのだ。私は声も出ない。

この場景の記憶と、ある本の感動が、この「コアの物語」を作った出発点です。本には交流があるPー2と謳ったが、川の話と本の話のどこに接点があるのかと思われたでしょう。この話を書こうと思いついたのは、三木成夫さんの著書に出会ったからなのです。(本には交流がある)に書きましたが、読み終え、窓を開け、上気したように呟いた、ここに響いたよ!と胸をおさえた本たちに出会ったからなのです。戯作と書き添えたのも、小説ではもちろんない、ファンタジーでもない、謂ってみれば、絵のない漫画になっているかもしれないが、書いておきたいのです。なぜかわからないけれど表現しておきたいことがあるのです。『いまのここに、かってのかなた、いのちの波のざわめき、(胎児の世界)』・・・を読んで、ここに響いたよと、胸をおさえたのですから。
つぎが、最終話のつもりですが、どうなるのか自分でもわからない。もう一度三木成夫さんの著書よみなおして、なぜ胸をおさえた感動があったのかを表現できたらと、正念場の最終話に挑んでみます。
コアも白い泡の形で波のスベリ台で遊びながら、見てくれている、鼓舞してくれている、応援してくれているようです。

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