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本には交流がある。まとめ

本には交流があるのPー2を今、綴っていますが、Pー1からの流れで安易にそうしてしまったのですが、どうも違うなと思い始めました。
きれぎれに綴った(本には交流がある)は、ひとつの、まとまりにしたい。というのは、フォローして頂いたり読んでくれている方がいるというのに、少し心配になってきたのです。強気と弱気の振れ幅の大きい二重人格の特徴です。心配というのは、本当に自分の身の丈にあったことを書いたのか?高慢な図々しいことを書いたのではないか、という思いでした。そもそも、自分を振り返るために書き始めたのに、エラソーになっていないか?脱線していないか?
きれぎれを、ひとまとめにして、数回読み直して、実は少し安心しました。思ったより踏み外していないかも知れない。ただ、こんな少しエラソーなことを書いたんだから、自分には責任がある。書いたことは自分の道の石標にして脱線しないようにつとめないと。
ひとまとめにしたのは、もう一つの理由もあります。少年のころに私が影響を受けた大切な友人に読んでもらいたいなと、そんな欲が出たのです。一纏めにして長文になってしまいました。でも、二重人格の強気のほうが出てきて、思いきって投稿してしまいます。

本には交流がある。古から近代まで、遠い過去からの、悲しみ、喜び、叡智、勇気、ユーモアの伝達を本にするという発明(ひらめき)を人に与えたのは宇宙の理かも知れない。
そして、明治から現在に至るまで、皆が使いやすい言葉にしてくれた小説家をはじめとする人たちに感謝します。

noteに参加するテーマは決めていました。(本)は自然と同じように心のよりどころだと。本からの声音を、私のささやかな読書の経験からでも、表現したい。本の有難さを伝えたい。
今年72歳になります。いまからでも遅くないと背中を押してくれたのも矢張り、本でした。山元加津子さん著(リト)を読みました。
50代半ばから10年、かっこちゃんの本、CD,講演会に励まされ心が喜びました。きいちゃん、大ちゃん、雪絵ちゃん、そして、かっこちゃんが関わったこどもたちが、かっこちゃんを私達のところへ送り出してくれた気がします。
おかげで、10年、くじけずにまっとうに生こうと歩けました。ただ60代半ばから身辺の課題が山積みで、かっこちゃんの世界から離れてしまいました。心が、乾燥しているなと感じはじめたこの頃でしたが、幸いに年寄りの諦め気分から抜け出せるチャンスが来ました。Uチューブで(リト)の物語があることを知りました。(気がつけば変われる)読んでみて自分には本が必要だなとつくづく思いました。
17年くらい前に山元加津子さんの存在を知りました。初めは斉藤一人さんのCDを隣の市にある(生命のシンフォニー)の小林さんの事務所に買いに行ったときに、そこに山元加津子さんの(みんな大好き)の冊子があったのです。なぜか理由もなく購入しました。4冊の内容は、私が読んできたものとは全く違うものでしたが、魂がふるえるとはこういうことかと涙が出ました。先に書いたように50代半ばから山元加津子さん、斉藤一人さんの著作、CD、講演会ではずいぶん力を頂きました。一人さんの(ありがとうと言われるような生き方をしようと思いながら生きていけば、それだけで全然ちがう)との言葉が心に優しく響きました。(思いながら)でいいんだ、(すべき)でなく(ながら)とするだけで楽な呼吸ができ、まっとうに明るい気持ちで生きたいと思ったものです。
(リト)には舛岡はなゑさん、斉藤一人さんの応援があったようで、やっと繋がったとうれしかった。
(ありがとうの花、手をつなげばあたたかい、土の中には見えないけれどいつもいっぱい種がある、宇宙は今日も私を愛してくれる、本当のことだから、1/4の奇跡、満月をきれいと僕は言えるぞ、約束)読み返しながら同時にnoteで本の素晴らしさを言わせてもらいたい。ものすごい読書家ではもちろんないけれど、私の人生に本がなっかたら、どんなにさびしい毎日だったろう。本には時代を超えた交流がある。

少年の自分に質問してみたい。文学少年の時間にフィードバックできるのかなと綴ってみます。
<戻る>矛盾に満ちた不思議な言葉だと、若い頃から思っていた。一体何に戻るのだ、時間は確実に過ぎて、ゲームのようにリセットは出来ない。それなのに<戻る>時間は必要なのだと直感的に思う。
スクランブル交差点で立ちつくしている(少年の自分)と交流してみたい、それがフィードバック、戻るということではないか。

腑に落ちる言葉~山元加津子著(本当のことだから)より。
一緒に星をながめていた大ちゃんが、遠くに見える星と自分はぜんぜん関係がないのに、僕の心を動かす力があるのが不思議だなあと言いました。

(質問から)~この直感から始めよう
いつからモヤモヤした焦燥感、落胆を感じ始めたのか?工業高校へ入学後すぐに落胆した。
金属の組織の教科書を読んだ時.、自分には必要がない知識だと感じてしまったのだ。それでも勉強だから努力して学ぶのが当たり前とわかっていても感覚的に受け付けなかった。中学生のときは、知識が面白いから覚えていっただけの気がする。大げさにいえば発見のようなときめき、嬉しさがあった。
アソビの延長のような態度でよかった。
あるとき父親に言われたことがあった。浩は努力を軽くみていると..…
親はよく見ていたなと思う。私の10代20代はまさにそうであった。自業自得だった。
ときめくものには努力は必要なかった。興味のある本は、明け方まで読んでいても努力した覚えはなかった。ラブレターは何枚書いてもイヤでなかった。工夫する勉強のように書いたから、今思えば苦笑いだ。さて、その頃の自分がときめく本とは何だったのか?
翻って、いま一度考えてみると文学少年って何だろう?
物知りになりたい衒学が望みなら読書が趣味で済んだが、そうはならなかった。昭和40年前後は、出版が盛んで全集が次々と刊行されたという、そんな背景のおかげか工業高校にもかかわらず、図書室には日本文学全集、世界文学全集が揃っていた。思想、哲学、歴史の類いも棚に並べられていた。毎日のように借りては、ジャンルは気にならず読みふけっていた高校一年生の日々だった。それがどうした?何が得した?ということだが、後悔はないと言うしかない。
変化は転機は二年生に起きた。心が揺れるように感じた作品に出会った。太宰治の<満願><魚服記>井伏鱒二の短編集<夜更けと梅の花>だった。
なぜか(うん、そうだよね)と納得した。俯瞰でも鳥瞰でもなく、こんな書き方、語り方は初めてだった。たとえば梶井基次郎の端正な表現の作品は愛読していたが、距離がとれていた。読者でいられた。
どうも回りくどい話にしてしまった。正直に言えば<夜更けと梅の花>と太宰治の作品が自分を文学少年にしてしまった。現実と文芸が近づき過ぎた。書きたくなったのだ、表現したくなったのだ。それが、どんな意味があったのかを、今更ではあるが知りたくてnoteに書き始めた理由の一つでもある。

作品の中の時間が止まった場面、ストップモーションが、私を最も引きつける。感銘を受ける、感じるものが大きい。そんなひととおりの言葉では表現できないが、私の語彙の貧しさでは、そういうしかない。テーマより場面、部分があって全体がある、この考えは今も変わらない。民がいて国がある、とは少しおおげさかな。

とまれ、<満願>の場面を引用します。

<八月のおわり私は美しいものを見た。朝お医者の家の縁側で新聞を読んでいると、私の傍に横座りに座っていた奥さんが「ああ、うれしそうね。」と小声でそっと囁いた。
ふと顔をあげると、すぐ眼の前の小道を、簡単服を着た清潔な姿がさっさっと飛ぶようにして歩いていった。白いパラソルをくるくるっとまわした。>

*(筑摩書房太宰治全集2、昭和43年発行分より。旧漢字旧仮名は、新字体新仮名にあらためました。)

白いパラソルは、ストップモーション。私の不良な心にもさわやかに見えた。
ストップモーションは私の好みらしい。場面転換についても映画が好きな私の中の文化みたいな箇所の感性には、若い頃から欠かせないものだった。
五番町夕霧楼の佐久間良子が、朝どこかへ出かけていく場面があり、同時に暗転があり、夕方帰ってきた時には、暗かった少女が喜びをかくせないような表情で戻ってきた。別人になっていたと言ってもいい。それを一瞬の暗転であらわした。
又、仁義の墓場の渡哲也が大阪で売春婦にペイをおそわり、つぎに廃人の表情のストップモーション。そしてドアをあけて出て行く表情は、快活で笑みをうかべていた。つきぬけて別人になったのだろう。どちらもストップモーションからの次の場面転換でエネルギーが生まれていた。・・・時間の方向と力のベクトルのように感じた。
矛盾します、ほんとうに矛盾するけれど、後年、ストップモーション、場面転換とか、そんな技術的なことではなく、静かで強い愛情だけの場面を読む機会に恵まれた。
引用することに少し躊躇したけれど、人の本当のことは載せておきたい。
*引用<山元加津子講演録、みんな大好きⅡ、みかちゃんのこと>
<平成18年、生命のシンフォニー発行分より。>
「怒るのじゃなくて、叱るじゃなくて、逃げるんじゃなくて、引っ張られないようにちゃんと髪をこう結んで自分を守りながらも、みかちゃんをしっかり抱きしめて「ママはここにいるから大丈夫よ。」
(中略)
この閉じられた空間の中に朝がきて夜がきて朝がきて夜がきて、テレビも何も無いところでもう十日間もお母さんはこうやってみかちゃんの体をずっとずっと抱きしめて・・・・
(中略)
「お母さん大変ですね。」って言うとお母さんは「そんなこと全然ありません。みかは施設に入っているからいつもみかのそばにいてやることが出来ないけど今、こうやって病院にいる間はみかのことだけ考えて、みかのことだけずっと抱きしめていられるから、この十日間は神様が私とみかにくれたとっても大切な時間なんです。」
本は心がけのわるい自分にも交流してくれる。こんな本当のことをおしえてくれる、見せてくれる。

太宰治と井伏鱒二のことはまとめて、後日書きたい。
ただ太宰治は暗くないですよ。ためしに畜犬談を読んでみてください。

ところで、17歳から22歳の文学少年青年はどんなことを想っていたのか?押し入れのコンテナボックスから過去のノートを引き出してみた。
顔から火が出そうな内容。穴があったら入りたいが、人生長くやっているので既に入った穴が多く穴が残り少ない。今回は自分をゆるすことにした。
習作掌編に書いた部分も混じって、断片的なつぶやきではあるが、手記なのだから記しておきたい。

「先を見て距離わからず、後ろ振り向き、足跡、追い風に消されていた。思わず叫んだら・・・ユーレイに見つかってしまった。」この友人の嘆きに、「ええ?」と心配になったが友は「正気だから大丈夫、怖れの同義語を、ユーレイに見立てただけ」と言った。

鼓舞の仕方さえ、わからない。これが無知な少年の本当のところのようです。

イラダチが原因なのか、それとも原因があってのそれか。・・・イラダチがイラダチを呼ぶ。

客観?
つまりは体のいい(かんちがい)のことです。(いい気な)主観のことです。現在ただいまの痛みには知らん顔、批判と原因ばかり探している。

もし男のひとに生まれ変われるものなら、胡坐くみ将棋合戦。ああ!王手王手はひどい。わたしのナイトは寝返り、わたしひとりの戦さ。

(きり)をつけるために待つけれど、あと5分あと5分とする人。踵を返す人。

詩を綴る少女です。
「ええいままよ、わたしは駈けだした。やたらに涙が出た。追われて追われて足跡たくさん残した、それでいい、自棄ではなかった。闇と時間は隣り合わせ、歪んでみえて、かすかなすきまに私の足跡があった。そして、ふっと思った、母さん、大切にしよう。思ってみて少しうれしかった。

自己嫌悪などやめろ!おまえの中の幾つものオマエが緩慢に化膿して、そうしてたまらず血をふきださせるだけだ。

じゃあどうすればいい?どんなマニュアルがある?自我のヒステリー。

笑っていたのは自分だけではなかった。泣いていたのは自分だけではなかった。あたりまえだった。

幼児には玩具は大切な幸福なモノです。大人の幸福論などはもってのほかです。ところで矛盾があるのですがー玩具は幼児に破壊もされるのです。何かに似ていないか?

結論を急いでしまう。割り切りたいと楽になりたいという焦燥感。

きのうヘンな空を見たと、その人は言った。
一点ヘンに白濁したかげりの部分をみつけたのです。すると、みるみるうちにパチパチ電線のショートのように音が爆ぜて、かげりに亀裂が入った。

枷の欲しい心と飛翔の心と・・・矛盾しない!

<秋は夕暮れ夕日花やかにさして山の端いと近くなりたるに鳥のねぐらへゆくとて三つ四つ二つなどとびゆくさえあはれなり>
古典の枕草子の授業中。
教室の窓外の空に眼をやり、くだらぬ小話を思いつく。
つれづれにノートに描いた小雀の決心。・・・みんな飛び立ってゆくので、自分もと、思い切りよく紙上から跳躍!めまいするほどの解放感、飛翔に成功したのか?いいえ、何のことはない。廂におもいきり額うちつけて、脳震盪おこしてさらに地面の硬さに足折った。

ゲーテの(親和力)この本のおかげで大混乱してしまった。あの小説は何だろう?いまとても嫌いだ。

海は今が満潮の時刻です。波間に夜光虫が幽かに発光して闇夜を解放する。

彼と彼女は夫婦であったが、ふたりともマダム.ボヴァリーだったので不幸になってしまった。あるいはとても幸せだった。

人はあるとき不意に違う姿を見せる。(飛翔と落下は同じ?Y軸が横回転)

ユーレイみたいに自由だ。・・・そんなことしか書けないのか!

見えない光が本質か?見えない光につくられる影が本物か?こどものアソビ道具の日光写真。

あなたには反語を使い過ぎたかも知れない。

部分を虚構していくことで初めて本質がわかるのに、その部分さえ判らないのがイマのオレではないのか?

<満願>の奥さんは(思い出)の、みよ、だと思う。

動いているものより動いていないものに時間を感じるのはなぜだろう?
モネの(ひなげし)の二組に見える親子は同じ親子ではないか、時間をスライドさせた絵では?時間の経過がストップモーションになっているみたいだ。

夏休みがなかったら二年生は正常に三年生にならない。

道端の草花の名前もわからないのに、何を知っているというのか?

夜明け前の水平線に浮かぶ雲は島々のように見える。

燕と蝶の飛行は似ていないか?

法令のように(時)と(とき)の分別では納得できない。

やれやれ、これではその後の人生、躓きやすかったわけだ。けれども、不思議なことに、ある時期から、言葉での考え方が、私を応援してくれた。元気づけてくれた。<経験と本と考え方>この三つがずいぶん自分を救ってくれた。
実は、今から14年前、私58歳のときに太宰治のことを書いてみた。生誕100年の記念で青森図書館でエッセイを募っていることを偶然に知り、ふりかえってみるのもいい機会だと、書いたものがある。読み返してみた。
(22歳のときに・・・これまでだ、文学青年、いわゆる純文学から撤退した。負けいくさ。戦にもなっていなかったかも知れない。自分が恥ずかしかった。
ここまで書いて、次の日、ハッとする言葉に出会いました。山元加津子さんのメルマガの文章です。
「私たちもみんな、おそらくは誰もが大切な約束事を果たそうと頑張っているのでしょうか?そうだとしたら、学校で一番学ぶべきことは何かなあとそう思うのです。それは自分のこと好きでいいんだあと思うことかなと思うのです。
<自分のこと好きでいいんだあ>この言葉にハッとしました。アイデンティティとは、自分のこと大好きでなければ、ただの題目、掛け声だと気づいた。そうして私にとって大事なことは、22歳で文学青年の灯台の、太宰を読まなくなった、書くこともやめたほんとのわけがわかったのです。もちろん才能のなさも承知していたが、それよりも22歳の私は自分がキライだったのです。生きるために日常に働いている自分、文学に囚われて2重人格みたいな自分がキライだったんだ。家族にも私に優しい人たちにも迷惑をかけつづける中途半端な自分がイヤだったんだ。自分をキライな人に・・アイデンティティ(自分)がわかるわけがない。who am I ?と言うのでなく私は私が大好きだと>受けとめればよかったのだ。ただ、<自分を好きになる>簡単なようで一大事業のように思える。安易な自惚れ、ナルシズムではないのだから・・・・
何十年たって真理がわかる。本当に、時間が、かかる男です。
でも、わかったんだから、得しちゃった!
山元加津子さんには本当に大切なことを気づかされる。この気づきをたいせつに、14年まえにまとめた太宰治のことを記してみたい。
青森図書館の太宰治生誕100年の記念作文を募っていることを知ったことがきっかけで、全集を読み直してみた。並行して、昭和53年自分が27歳のときに読んだ津島美知子著の「回想の太宰治」も読み返してみた。この本も書店で背文字をみたとき素直に手にしていた。夫人にとって太宰治の姿勢はどう映っていたんだろうと・・・。
聡明な文章でした。
太宰の文学での仕事を心から尊重して、夫、津島修治の天分をわかっていた太宰文学の最高の読者であり理解者だった。それが読み終えた感想でした。
少し話が寄り道します。これからの生き方、いや生き方といえば気取っているかな、どんな、ぢいさんになっていきたいのか思っていた時期です。
なぜそう思ったのか?物が豊かで便利で長寿社会なのに、ふしぎなことに幸せそうでない先輩の大人や老人が私の知るところだけでも多くいることに気がつきだしたのです。以前には、強引な生き方をして何が悪いんだ!と得意げの狡猾の人が大人というもので、かえってこちらが成長がないようなヘンな劣等感、引け目を感じていたが、実際は憎しみや怒りで、目の前の損得だけで動き、気持ちがギリギリしていて勝手な僻みをおこしているように見えてきたのです。憎しみは老人.の敵です。人は、かならず必ず年をとる。老人になってまで憎しみに囚われたくない。皮肉にも長寿社会は、はっきりと気持ちの幸せの人とそうでない人を現したように思えます。遅いかもしれないが、私に一種の欲が出てきました。いままでにない欲です。ギリギリした不機嫌の心でない(囚われていない、ぢいさんになっていきたい)という向上心みたいなものが湧いてきたのです。
それを太宰についてのエッセイを書きながら気づいていったことでした。書くことは頭でなく指でペンで考えることだと今更ながら痛感します。書くから、はっきりしてくる。
そんなことを思い出したころから、私のまえに、しあわせを義務にしているようなひとたちの本や人が現れ出しました。読書の習慣は、このときも私を応援してくれました。少しづつですが考え方をその方たちにまなんでいったように思われます。でも初めは付け焼き刃ですから上手くいくはずがありません。自分の浅はかな考え方の(行ったり来たり)で落ち込むことも多かったのです。それでも、灯台の光だけは見失ないよう難破しない、昧くならない、暗くならない考え方だけは守りたいと思っていました。
そんなときに、あれ何かに似ていると再び気づいた。いつの時ににているか思い出した。16歳17歳の時に似ている。
似ているが決定的に違うところがある。少年期、感性だけからくる根拠の乏しい反抗心と焦燥の時間。もちろん58歳の白髪の少年はいませんが、少年期に訪れる(これからの生き方)を想う気持ちに似ていた。しかし、決定的に違うところがある。あのときは(大人にはなりたくないけれど、特別な人にはなりたい)でした。妄想的な自我。けれども、この時間も大切なことだった。交流分析でいうP(親)A(成人)C(こども)だけでない思春期の少年の過渡期が大事なんじゃないかと、青くさくても、そこはたいせつにしたい。
そして今は(囚われていない爺さん)になりたい、なっていく務めをするのが役目かなとエラソーには思う。ただし、好々爺とは違う意味で言っているつもりです。外からの評価の特別なひとではなくて、かけがえのない自分にたいして感謝する義務があるように見えてきた。きれいごとな言い方過ぎるか、でも実際そう思うだからそういうしかありません。
それが太宰の全集、美知子夫人の「回想の太宰治」を読み直してみて、エッセイを書いて、わかったようです。
津島美知子著「回想の太宰治」より引用。
昭和53年人文書院より発行分より。
[太宰の酒は一言で言うと、よい酒で、酒癖の悪い人、酒で乱れることをきらった。
綿のような毛のものが部屋中散乱し失敗に終わり、太宰は見ていて、お前は詩人だなどと批評した。
時々たまらなくさびしくなることがあった。三鷹にきてから、それまで本がなくて読めなかった彼の船橋時代以前の随筆や、版画荘文庫に収められた短編を読んで少し彼の考えていることがわかったように思った。 (三鷹)より
夕方から飲み始め、夜九時頃までに、六、七合飲んで、ときには(お俊伝兵衛)や(朝顔日記)の一節を語ったり、歌舞伎の声音を使ったりした。「ブルタス、お前もか」などと言い出して手こずることもあった。
この家での最初の仕事は「黄金風景」で、太宰は待ち構えていたように私に口述筆記をさせた。 (御崎町)より
太宰は皮をむかれて赤裸の白兎のような人で、できればいつも蒲の穂綿のようなほかほかの言葉に包まれていたいのである。結婚直後「かげで舌を出してもよいから、うわべはいい顔を見せてくれ」と言われて、唖然とした。
荷物をまとめているうちに私は衝動的に、タンスにしまってあった手紙やはがきーそれは結婚前とり交わした手紙を太宰がお守りにしようねといって紅白の紐で結んだ一束と、その後の旅信とであったがーをとり出して庭に持ち出し太宰と小山さんふたりの面前で、燃やしてしまった。(中略)小山さんが狭いわが家に闖入してきたために追い出されるような気もして、そのようなヒステリックな行動をとったらしい。 (疎開前後)より
海というと私に浮かぶのは、あの朝の楽しかった家庭団欒の一ときの光景である。「浦島さんの海だよ、ほら小さいお魚が泳いでいるよ」とはしゃいだのはだれだろう。太宰自身ではないか。なぜ家族団欒を書いてはいけないのかー私は「海」を読んでやりきれない気持ちであった。  (深浦)より
たけさんは太宰の性格をよく知っている。甘やかせばキリのない愛情飢餓症であること、きびしい顔も見せなくてはいけない子であることを知っている。  (アヤメの帯)より
私はときどき、太宰治の研究家や、愛読者の方々から問い合わせを受ける。今後そのような場合、このつたない著書の中にお答えにかわるなにかを見いだしていただくことができたら幸いである。  (あとがき)より]
答えにかわる何かを見いだしたどころではない。太宰治の仕事に自信に満ちた著書です。そしてこの本は、どんな太宰の研究家が分析しても空々しくなってしまう究極の本です。と思うわけは、太宰と書いている人称を津島修治と置き換えたら、いや、(あなた)とおきかえたら、研究、批評の言葉が寒々しくなる。この最高の読者、理解者をわかっていての、結婚後の太宰の仕事の自信だったのではないか、と思います。つけ加えさせてもらえば、私が初めて読んだ太宰の選集の付録に美知子夫人がドナルド・キーンさんとの談話の中で、なにげない言葉でそして確信をもって仰っています。
「ああいう死に方をいたしましたけれども、ほんとうは生まれつき、明るい陽気な.面をもっている人でございました。
さて五十代で.太宰の文章を読み返したとき、(人間失格)の中に、テーマと全く矛盾している文章を見つけたのです。第二の手記のはじめの描写です。暗い描写でなく、いいえ、四十年前には描写に見えていたものが、そうではなく、愛おしいたいせつにしているものを賛歌している、と感じられたのです。天才がなぜこんな構成をこわすような、愛おしい思いをこめた描写をしたのか、中学時代をかけがえのないものとして、いつくしんでいる描写です。けっして道化の処世術からはでてこない素直な感性です。
そうあたりまえ過ぎることに、いまさら気づきました。これを書いたのは太宰治.ではなく、大庭葉藏でもなく、津島修治なのだと、葉蔵とまったく違って中学時代をどんなに愛していたか、どんなに、その渚に象徴される(少年の時間)をいつくしんでいたか、気づきました。
<昭和43年筑摩書房発行
太宰治全集より引用
旧漢字旧仮名は新字体新仮名にあらためました>
[海の波打際、といってもいいくらいに海に近い岸辺に、真黒い樹肌の山桜の、かなり大きいのが二十本以上も立ちならび、新学期がはじまると、山桜は、褐色のねばっこいような嫩葉と共に、青い海を背景にして、その絢爛たる花をひらき、やがて、花吹雪の時には、花がおびただしく海に散り込み、海面を鏤めて漂い、波に乗せられ再び波打際に打ちかえされる。その桜の砂浜が、そのまま校庭として使用せられている東北の中学校に、自分は受験勉強もろくに.しなかったのに、どうやら無事に入学できました。そうしてその中学の制帽の徴章にも、制服のボタンにも、桜の花が図案化せられて咲いていました。  (人間失格)第二の手記より]
文芸が無ければ、この世の中は、すきまだらけです。  <惜別>より

生誕100年の記念作文には何ページも引用したのですが今回読み返し、私の中の何かが、すっかり変わっていることに気がついたせいか、上記の2段だけを写して、もう納得した。訣別でも、卒業でもないけれど、この(本には交流がある)を書いてきてわかったことがある。少年の私に会いたくて質問したくて書いたんだ。そして会えたような気がする。握手できた。握手できた。自分と和解。ヘンな表現だが、たしかに、そうだ。少年と老人、どちらも私だ。生きていこう。生きていこう。
最終章の前に、少年期と青年期の入り口までのことは書き終え、それからの20代30代40代と8ページ分の下書きも用意でき、投稿の予定でした。
けれども、この8ページ読み返して、気がついた。(私)には大変なことの連続だったけれど、そんなことは多くの人も当たり前で、大騒ぎで活字にするのは自己満足にすぎないと。とはいうものの、20代から40代をふりかえって自分を見れたのは意義があった。ただ、ここに書くことではないと、あたりまえの道理に気がついた。
素直に書けばいい。50代60代、影響を最も受けた、安保徹さん、三木成夫さん、そして山元加津子さんの本に、腑に落ちた読書ができたことを。
しかし、どんなことを書けばいい、どんな書き方をすればいいのか、今、わからない。
一番重要なことのような気がするのに・・・
ここを書かないと、ただの耄碌の饒舌になってしまう。書けてこのnoteのページに戻りたい。がんばるど。
いまさら度々になってしまうけれど本は本を呼ぶ。本が私を見つけてくれる。安保徹さんと三木成夫さんを知ったのも、そうとしか思えない。書店で何気なく手にした.安保徹さんの免疫の本でした。興味深い、しかも著者の真剣熱情を信じられると直感しました。安保さんの本を次々に読んでいくうちに三木成夫という名前が書かれた行があった。本は次の本を知らせる。本はリレー。三木成夫さんの本を私に知らせてくれた。
この本にはエキサイティングしたよ!本当にエキサイティングしたよ!
学者の著書とは到底思えなかった。読み終え、窓を開け、空を見上げ、上気したように呟いたよ。ここに響いた!・・と胸をおさえた。
 「胎児の世界」という本だった。ユーモアも一級品の気配があるし、いまさらながらだけれど、講演を聞きたかったな。質問したかったなと思います。
興味深いことに古武術家の甲野善紀さんが、三木成夫著「生命とリズム」のあとがきに寄せられています。・・・(生物としての特性をまず考えるべきだろう。このような話を実演を交えて三木先生とお話できたらと思うと、すでに叶わぬ願いであるにもかかわらず、何か胸の中が熱くなってくる。いつの日か、.この世を卒業したら三木先生を探し出し、そこで時間を気にせずじっくりとお話ししたいと思う。)・・・安保徹さんの本から三木成夫さんの本へ、そして甲野善紀さん養老孟司さん吉本隆明さんを知る有り難さ、不思議さ。
私も文学少年、青年の頃の脆弱さを拭いたいために拳法にはげんだ過去があり、(身体)というものは精神の下部ではないと思っていた。
最終章は安保徹さん、三木成夫さん、山元加津子さんのことを書くつもりでいました。まず安保徹さん三木成夫さん、お二人の本をこの一ヶ月読み直してみました。まるで小学生中学生に戻ったような楽しい読書の時間でした。しかし、ここで当然気がついたのです。何が書けるのか?医学博士、大学教授のかたの本を、どう書くのか?小説のあらすじのように書ける内容ではない。無理かな?と何日も過ぎました。
諦めのわるい私は、ふっと「気負うな」と思ったのです。私が受けた衝撃は要約で纏められるわけがない。心の酵素があるなら、時間がかかっても、この感動を、いつか、稚拙であろうが言葉の絵にしてみたいと欲がでた。そのためには与えられたイメージの扉を開く鍵を残しておきたいと、文字通りキーワードとして言の葉を羅列しておくことにしました。支離滅裂な方法にみえそうですが、お二人の本は、イメージの宝庫です。イメージの海です。
先に三木成夫さんの本の言の葉を並べます。なぜかそれが順序のような気がします。
(過去に向かう遠いまなざし  いまのここにかつてのかなた  回想とは無縁の場の記憶  生命記憶  胎児の夢  いのちの波  生命記憶の故郷  臍の緒の切れる以前から備わった記憶  意識しないでもからだのすみずみまではいりこんでいる  想の機能、何かに似ている  右の方が活字を左の方が図形を得意とするらしい  月夜の大空を行く雁の列  キタキツネの子別れ  象の群れの墓場への行進  蟷螂の尋常に死ぬ枯野かな   
いのちの波のざわめき  波  らせん運動  朝顔つるの、らせん   
つむじ  染色体の二重構造  自転しながら公転  電子のスピン  
朔望月  日リズム月リズム年リズム  排卵、月公転と一致  細胞
天体 球体  内蔵系、遠と共振  体壁系、近を感覚  いのちの波は宇宙リズムの一つ  一億年を費やした脊椎動物の上陸誌  古生代の終わりの海と陸の間、思案し続けた一億年の形跡  細胞記憶生命記憶  食の相
性の相  いのちの波  内蔵波動  繰り返しは自然界にはない  腸管は蠕動する  魚の回遊と鳥の渡り  地球的な往復運動  宇宙リズム  
屋久島杉の年輪  動物の歯の年輪  日輪構造  七日の波動  九十分の波  食と性の位相交替  生の原波動  さけの死を賭した朔行  蟷螂の命をかけた交尾  生命記憶  絹の道  海上の道  黒潮  先史人の陸海にまたがる移動能力  中世代爬虫類古代緑地  新生代哺乳類アルプス造山運動  裸子植物被子植物  卵生動物胎生動物  憶を記す  
記憶  三十億年  鰓呼吸肺呼吸  羊水  古代海水  一億年くぐりぬけた魚たち  海をはらむ族、哺乳類の別名  海の精の塩  人体  小宇宙  自然  大宇宙  あたまと心  脳と心臓  内蔵器官      
近と遠、 らせんの形象、  
細胞のなかに、膨大な量が巧みに封じ込まれ  記憶の遺産  動物はひたすらに植物によって生かされる  からだ、四十億年の歳月をかけて形成 
DNAのあの二重の渦巻き文様の中に秘めやかに刻みこまれた記憶  回想することができる  五億年におよぶ人類進化  上陸のおもかげ  あたまがこころの声に耳をかたむけている(思)の文字  自然のこころを汲み取る、こころ  内蔵の感受性  昼行性夜行性、朝顔昼顔夕顔  自然における人間の位置  太古の海における生命誕生の瞬間  受胎告知  潮汐リズム、光の明暗リズム、四季の交代  水辺の生活、波打ちのリズム、呼吸のリズム  数百万年の歳月にわたるデボン紀の波打ち際  潮汐リズム、月に対する地球の自転  月の地球を巡る二十四.八時間  太陰、太陽の両日リズム  古生代、魚たち、大海原のふところに抱かれていた  中世代、陸の生活、大海原から母親のふところへ  子供と母親が直接血でつながる    
生命記憶  道、タオ  天地と非可視の宇宙  胎児、母親の血潮のざわめき、潮騒、子宮の壁、大動脈の搏動音、小川のせせらぎのような大静脈の摩擦音、高らかに鳴り響く心臓の鼓動  波打ち際の思い出  こころの目覚め、大自然と共振  ヒマラヤの空を越す鶴の渡りの路)
*三木成夫著 (胎児の世界)(生命とリズム)(海・呼吸・古代形象)
より参照引用
三木成夫さん、安保徹さんの本も15年前くらいに読み始めたのですが、今回改めてじっくり読み返してみて、お二人の熱が相変わらず伝わってくる。残っていく本だと確信しました。
安保さんの本をもう少し早く読めていれば、母がパーキンソン病を患ったときに対応が違えたかなと、少し悔しい気持ちもあります。もちろん母に心配をかけ通しでストレスを与えてパーキンソン病の原因の一つを作ってしまったに違いない自分の未熟さを棚上げして、対応云々とは言い訳だけれど、血流の大切なことが理解できていたら、もっと寄り添った考えが出来たんじゃないかと口惜しい。親不孝をたくさんしてしまった自分がもっともらしい講釈を言うのは、図々しい、笑止千万だけれど、私が大きく道を踏みはずさずに、絶望だけはしなかったのは、母の存在だと思います。親や爺さんになった今自分は、いい親を持って幸運だなと、つくづく思う。「おかあちゃ」は亡くなって12年になるけれど、つらいときには、母のまっとうな生き方の姿勢を思い出し、母がよく言っていた「元気を出さなくちゃ」に倣わないと!。
話が脱線してしまいました。
安保さんの本に戻ります。
薬のことも母と関連します。パーキンソン病の薬も時には幻覚を見せてしまう。薬も一時的には必用だが薬漬けには問題があると安保徹さんは警鐘を鳴らしてくれています。薬に頼るので無く血流をよくして低体温から脱却することだと。たとえば、膠原病という名前はあるのに、原因はハッキリしないまま薬は投与される不思議なことが起きている。たしかに私の周りをみても健康食品やビタミン剤のように医薬品を飲んでいるようだ。
いや門外漢の私が過激なことをいうのは噴飯物かも知れないが、安保さんの本からの、自律神経、白血球の「がんばり」、ミトコンドリアのことは、前記の三木成夫さんと母のことと相俟って私に「元の気」を何ものかを示唆してくれている気がする。勿論、浅薄なわたしに答えがわかるわけがなく、大笑いされそうだが言ってしまえば、自分は38億年前の生命誕生、20億年前のふたつの生命体の合体から多細胞の道筋が出来た生命体のリレーされた「命」といえるでしょう。これ以上は、三木成夫さんの本の時と同じように、安保徹さんの言の葉を、ちりばめて、命って何だろうと想う私の灯台の光とします。
ちなみに、おふたりに啓発されたもので、詩か、掌編の物語を綴りたいと想う衝動があります。生産性、損得とは遠い意欲ですが、72歳の爺の趣の味わい方としては、わるくないと自己満足です。書けるかな?書きたいな!

『相反する性質をそなえている生命体が先祖細胞
真核細胞、ここから生命体の進化  原核細胞は分裂するだけ。 
生命体は基本、不老不死、バクテリア 不老不死でない生命体は真核細胞生命体だけ エネルギー効率のいいミトコンドリア生命体
20億年前、光合成細菌が現れ、そのため解糖系(分裂)生命体は酸化の害で生きづらくなった、そこへ酸素を使ってエネルギーをつくるミトコンドリア生命体が私たちの先祖細胞に寄生した 生命体の合体 大事に大事に使いながら酸素焼けしてこときれる、それが人間に寿命がある生物学的理由
ミトコンドリアがほとんどない精子 ミトコンドリアだらけの卵子
ミトコンドリアはすべて母親からの遺伝 折り合いから多細胞、分裂でなく生殖 生命体は自ら失敗することはない 生命を生かす方向に働いている生命現象  ミトコンドリア、体内の発電所 病気は偶発的に起こらない 自律神経の偏り 囚われの世界(おびえ)先祖返り現象、たとえば、赤血球が細胞をやめてしまう 細胞の一つひとつが生命体としての活動を行っている   
多くの細胞が死と生を繰り返している 赤血球には核がない、ミトコンドリアもない、HMCもない 自律神経は体内活動のすべてを調整するまとめ役、指示を出しているのは視床下部 自然免疫、獲得免疫、細胞に目印(MHC)がついている 胸腺は鰓から生まれた いま私がいるということは生命体の発生から言えば不老不死で来ているということ 生命体が薬でもって病気が治るとは思えない からだはバラバラには病気にならない リンパ球の教育という胸腺 胎児は自己ではないが巧みなしくみで排除を免れている母胎と他人(胎児)が同居する特殊なケース(胎盤の細胞には自己の目印となるMHCがない 陸上に上がって肺の呼吸をするようになってからの特化した免疫、胸腺、リンパ節、脾臓 免疫力はミトコンドリアの環境をよくする生命体の最後の闘争手段 命を動かす方向に働いている生命現象をみつめ』
*安保徹著(安保徹のやさしい解体新書)(かたよらない生き方)(安保徹の病気にならないしくみ)より参照引用
いよいよ、ほんとの最終章。山元加津子さんの本のことを書くときが来ました。緊張をしっぱなしです。手元にある本を読み返していきました。けれど読み進めるうちに愕然としました。突拍子もないことをしようとしていないか?いったい自分は何を纏めようとしているのか、本からキーワードをいくつ並べても、到底私の意図は表現できない。引用をしても自分の受けた感動は表現のかけらさえ出来ない。全部を引用するしかない。
思えばnoteに「本には交流がある」を書き続けたのは、この最終章のゴール目指したからですが、この、ていたらく、どうしよう、いや、落ち着け、素直に構えずになることだ。
どうしてこの章を書こうとしたのか思い出せと自問の幾日でした。でも(ありがとうの花)を読んでいるときでした。そうだ、ありがとうの気持ちを言葉にすればいい。
山元加津子さんの本は私のそれまでの人生観を価値観を、ひっくり返しました。どの本を読んでも自然な声音を感じた。この方は自然そのままではないか、自然は信じるか信じないかという以前のことだから。そして、あつかましい言い方ですが、私自身の良心というものに気づかされました。感謝という言葉も思いました。(人は信じるに値する)と宮ぷーが言ったように、私も、かっこちゃんの本の数々を全部、信じられた。
かっこちゃんの本の奥には、おおぜいの子供たちの心があるようにみえる。またおおぜいの、かっこちゃんの大好きなお友達の優しい心もあるように感じます。
本当に同時代に、この人がいてこの本たちがあって、私の人生は気づきの多い、ついてる、ハッピーだと感じます。つらいとき、魂がすぼみそうになったとき、そこにかっこちゃんの本(灯台)がある。読んで本当のことに思いが及べば「あっ」と何かに気づいて航海を続けていける。
本は宇宙の発明かもしれないと想うこともあります。
かっこちゃんの本を評するとかはもちろん論外ですが、どうしても以上のことは言わんといかんと書きましたが、最後に、思いついた私の稚拙な空想の噺を書いてしまいます。
『ある広いひろい場所に、陽の鳥が飛んで来ました。ドングリを落として一度、高い空にとどまり、次の場所に飛びさっていきました。どんぐりは、芽を出し長い長い年月をかけて大きくおおきくなって、たくさんの枝葉をつけ、どんぐりを地面にふらせ、動物が運び、豊かな森をつくっていきました。
最初に現れた木は天にまっすぐにのびて空と交信しているようでした。
枝葉も嬉しく風にゆれている。木漏れ日が射す明るい静かな時空、強い雨のときも葉のおかげで静かな滴となり、地面を潤し、地面の上でも地面の下でも小さな小さな生物がいそがしく働き、土を作っています。そして土は樹を草花を、森を支えます。』
幹と枝葉、かっこちゃんとこどもたち。最初の木と大好きな仲間たちの樹木や草花は一つの宇宙、かっこちゃんの森、雪絵ちゃんの森だと想って、空想の絵を文字にしてみました。下手すぎるけど、あつかましく載せちゃいました。これからも、かっこちゃんの本は灯台の光になります。

本当にありがとう。

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