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本には交流があるPー2 戯作11 縄文海進

下流部の景色。
一面の田園地帯を大きく蛇行しながら広い河川敷をともないながら河口に向かって流れる川しもの景色です。
高い堤防に守られ辺り一面に田圃が広がっている光景ができる前は、いったい、どんな所だったのだろうと、子どもたちに混じって図書館で学んだ知識を元に老人は空想、夢想する。老人の遊びとしては面白い。
遙か遙か遠い縄文海進のころを想像する。そうだ、ここは黒潮が列島近くをまっすぐに流れていた温暖な縄文の時代の河口や海だったんだ。海辺近くの丘陵に貝塚があることからも、自然からの恵みの貝、魚、丘の森の木の実を食料としていた人たちがいた。
丘陵の里山の竪穴住居で暮らし、小さな集落の真ん中に広場をつくり、祭祀を行っていたという。祈りの広場でもあったのだろう。
また粘土を焼べて器を造る大発明をした人たちが居た。煮沸や貯蔵が出来る土器の食生活は、それまでと比べて、どんなに嬉しかっただろう。土器にあたたかいものを分けあって食べる暮らしのはじまりは、どれほど豊かな家族の時間だったろう。
ここでは階層もなく支配の欲も希薄だっただろう。
海進も永い時をかけながら、しだいに退き、海だった地帯に陸地が現れはじめました。そこはまるで干潮のときの潟のようだったかも知れません。海退がすすむごとに潟は湿地に水田に変化したのでしょうか。弥生時代の稲作つくりは、この大変化があったから進んだのかも知れないと勝手に想う。そして田圃の發明は大きな集落をつくり、階層ができ、支配が行われ始めたのでしょう。
下流の景色を眺めながら、老人はそんな風にとりとめなく夢想していた。コアはそんな空想癖の友だちをよそに、燕に姿を変え、青い稲穂の上空を、紙ヒコーキのように飛行している。そして縄文も弥生の空も、同じように翔んでいたのかも知れない。
そして、その景色はなぜか、懐かしい。



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