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ヤングケアラーであった自分#4 虐待の始まり
ほぼ1年、止まってしまった、虐待が始まった頃からの話を再開したいと思います。特に書くのが辛くて止まってしまったというよりは、その頃の記憶を引っ張り出すのにちょっと集中力が必要で、その集中力をかける時間が見つからないまま日々に忙殺されて書くのを忘れてました。
今日はたまたまCODAという映画を見ました。漁業を営む聾者の家族の中で唯一の聾者でない高校生の主人公がもがきながら成長していくお話。多分今年
ヤングケアラーであった自分 #3 私に向けられた苛立ち
祖父母の家から徒歩3分の芝生の綺麗な一軒家に移った私は、学校の集団登校のグループが変わることになった。その当時は子供も多かったのもあり、「地域名」+「北」という集団登校グループに属していた私は「地域名」+「東」というグループに属することになった。「東」グループの方がスポーツが得意だったり性格が明るかったりする子が多いイメージで、なんだか誇らしかったのを覚えている。
のりちゃんはその時小学校6年生
ヤングケアラーであった自分 #2 父と、交際相手の女性とその娘との同居生活
小学校1年生の6月のある日、雨の降る週末だったか。
私は父にちょっとここに座りなさいと呼ばれた。リビングの窓際で父の向かいに正座した気がする。
父が話した言葉は覚えていないが、「これからはY田さんとのりちゃんと一緒に4人で暮らすことになった」という意味のことを言われた。
Y田さんというのは父のテニス仲間の1人で背の高い、スラっとしたちょっと冷たい感じの美人だ。のりちゃんはその娘さんで当時小学
ヤングケアラーであった自分 #1
この夏、沖縄に1ヶ月滞在していた。沖縄北部の真っ暗な夜道をラジオをつけながら運転していたある夜。ラジオの電波も悪く、途切れ途切れに聞こえたとある番組のリスナーからのお便り。確か、高校生の男性か女性かで、祖母だかを介護していて、辛い気持ちを淡々と綴ったお便りがその番組のパーソナリティに読まれていた。お便りの後半には完全にその電波は途切れてしまったせいで最後どのようなやりとりがその番組内でなされたのか
もっとみる【ワーケーションin沖縄】30日目、シークレットビーチ
いよいよ明日帰京ということで、実質最終日。片付けなどもあるのでどこか近場のビーチで沖縄の旅の締めとすることに。
お昼は家の近所の居酒屋さんがランチ営業をしていることに気づき、そちらにお邪魔しました。
昭和スタイルの店内。本来なら真夏のかき入れどきでしょうに。他にお客さんもおらずの貸し切り状態でした。
定食やお子様ランチを頼むと、めっちゃ大盛りで登場。味はとっても美味しいのに、残念ながら完食出
【ワーケーションin沖縄】27日目、ひとりの時間が必要
この日は午前中は夫がダイビングに出ているため、私がキッズ担当。そろそ、夏休みも終わりなのに明らかに娘の宿題が遅れている。それで娘とケンカになってしまう。
お昼に帰ってきた夫とも教育の方針について言い合いになる。夫とは価値観の違いが大きすぎてしんどくなることがよくある。この日もそんな日。
午後はキッズを夫に任せてカフェで仕事。学校も学童も保育園もシッターさんも無しでこんなに長く家族みんなで過ごす
【ワーケーションin沖縄】25日目、ローな日
本日は1日夫が仕事、私がキッズ担当の日。まずは朝ごはんは、前日に北山商店で買ったマキシパンのパン。朝サクッと15分だけ家の近くのビーチで瞑想。ワンオペ日の前の嵐の静けさ。
午前中は家で娘の宿題を見ながら息子を遊ばせる。折り紙の馬をご所望だったのでネットで折り方を検索して折ってあげる。
5分待たずに破壊される馬…😅
お昼ご飯もキッズの希望により、彼らは愛する88ステーキハウスへ。
いつもの