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短編集

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短編を集めています。ジャンルはいろいろ。
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記事一覧

エッセイ・「わたしとコロナ」

エッセイ・「わたしとコロナ」

最近そろそろコロナ禍に終わりが見えてきた。コロナの感染者が増えてもなんだか以前のような緊迫感はない。大方の予想通り、コロナは第二のインフルエンザと化しはじめている。
 だからこそ言えるのだが、わたしはこの数年コロナ禍で困ったことがあまり多くない、たぶん。もちろん、マスクは鬱陶しいし帰省や旅行はしづらくなった。でも、それだけだ。1番きつかったのは実家の猫に会える頻度が落ちたことくらいか。(禁断症状を

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エッセイ・「無口の余白にあるもの」

エッセイ・「無口の余白にあるもの」

 わたしはかつて、無口な子供だった。
 友人に話しかけられてもうまく答えられず、口を閉ざした。周囲の言葉は理解し難く、隔たっていた。まるで私以外が宇宙人であるかのように。まあ、他の人にとってはそんな私こそが宇宙人的であったかもしれない。
 ところがある時から、わたしの口からはいくらでも言葉が出て行くようになった。考えているわけではない。気がつくと口が勝手にしゃべっている。(おしゃべりな人には共感し

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短編小説・『或る夢』

短編小説・『或る夢』


夢の中で彩夏は父を殺した。
いや…あれは自殺だったはずだ。
 夢の余韻をかき集めるように、そう結論づけた。
 汗に湿ったシーツは思考を束縛する。まだあの夢から醒めきっていないようだ。頭の中では夢が断片的に浮かび上がっては消えていった。気の遠くなるような執拗さは何かを戒めるようでもある。普段は目覚めと共に跡も残さず消え去るのに、今回は薄れる気配すらない。その点においても、なんだかいつも

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エッセイ・『明星』

エッセイ・『明星』

 その日はひどく疲れていて、かなり早く床に着いたのを覚えている。
 ところが、なかなか寝付けない。家族の生活音を遠く聞きながら、何度目かの寝返りを打った時こんな会話が始まった。
 「大変ご迷惑をお掛けいたしました」
 「いえ…早くご対応いただいてありがとうございます」
 業者の謝罪に私は応えた。
 一人暮らし先に業者を呼んで壊れたドアストッパーの修理を依頼したのだ。そして作業はどうやら完了し、これ

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掌編小説・『死の明日』

掌編小説・『死の明日』

 液晶が青白く発光し、目を灼いた。
 もう夜が深いーーー。
 眩さにそう悟った。部屋の片隅からはラジオの微かな音が聞こえていた。音量を絞っているので、内容は聞き取れない。それで構わなかった。耳鳴りがしないのであれば。いつもは気にもとめない沈黙が、今夜はやけに煩かった。
 タブレットを手放して、横たえた身体を仰向けにした。暗い1Kはやけに広く感じられる。端末の光が白い壁紙に反射して、闇に濃淡を生み出

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小説・夜を待つ少女

小説・夜を待つ少女

二一時を過ぎた頃、わたしの街は眠りにつこうとする。昼間は街で一番のにぎわいを見せるこの交差点にさえ沈黙が訪れて夜が深くなる。そのなかで、こわれたように点滅し続ける黄色い信号のひかりをぼんやりと眺めているのがわたしは好きだった。
通りにはほとんど人影がない。夜になると、その街の本当の姿が見えてくるような気がする。そうして、それをながめていることが小さな秘密のように思えてくるのだ。それはひどく

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小説・異域にて。

祖父が死んだ、と聞いたのはずいぶん夜遅くのことだった。 もうすぐやってくる「昨日」と「今日」の狭間に滑り込むようにしてその報せは届いた。内容の意外さにわたしの心は束の間空虚になった。
死を告げた母の目はこぼれ落ちそうに震えている。充血した瞳がにぶい驚きを遅ればせながら引き出す。母の瞳からいずれ溢れるものを思うとわたしの心はしずかに沈んだ。眠気でまだうっすらと霞がかる頭で母の顔をみて、どうしようもな

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