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【まとめ読みマガジン】三浦春馬君に関して色々思うこと

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三浦春馬君が亡くなって以来続く、悔み、哀しみ、愛しみを吐露する場所。
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記事一覧

三浦春馬君へ

三浦春馬君へ

あれから3年が経ちました。

長く続いた梅雨の土曜日でした。
TBSの「音楽の日」を観ながら、春馬君の訃報を知った時の衝撃、その時に見た情景、そして、私の身体に起こった反応は、今でも鮮明に記憶に残っています。

月日は流れました。

だいぶ回復はしてきましたが、世界はいまだコロナ禍から抜けきれないままですし、ロシアのウクライナへの軍事侵攻は続いています。
なんて世の中なのでしょう。
苦しんでいる人

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いっぱい未来の話をしよう ー「映画 太陽の子」を観てー

いっぱい未来の話をしよう ー「映画 太陽の子」を観てー

昨夏の劇場公開時には、コロナの感染状況も最悪だった為、映画館で鑑賞するのはいつかいつかと伺っているうちに、あっという間に上映が終了してしまって、結局見られずじまいだった。
ようやくデジタル配信にて鑑賞することができた。

テレビドラマを見たときの想い遡ること、2020年8月15日。
オリンピックがあるはずだったのになかった、その夏の終戦の日には、本作の80分間版のテレビドラマが放映された。
そして

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はじめまして。

はじめまして。

2020年7月18日、三浦春馬君の訃報を知った。
それから早1か月。
未だに、ただただ悲しく、泣く毎日。
熱狂的なファンだったわけでもなく、それなりの年齢を重ねた私がどうしてこうなってしまうのか。
その答えを見つけたくて、同じような境遇の人のつぶやきを探し、ネットを彷徨い続ける。
そして、見つけると、私だけではないと少しホッとする。
ここに私の心の内を書き留めることは、私の気持ちの整理させる意味合

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三浦春馬と私。

三浦春馬と私。

まずは、そもそもの私の中での三浦春馬君がどういう存在であったかを整理したい。

最初の記憶「JR東日本 MY FIRST AOMORI」私が三浦春馬君に対して好印象を持った最初のきっかけは、2010年、JR東日本の「MY FIRST AOMORI」のテレビCMだったように思う。
これは東北新幹線の新青森駅開業向けてのシリーズものだった。
春馬君は、東京から東北にやってきた新人駅員役(トーキョー)で

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三浦春馬君が旅立った、あの日のこと。

三浦春馬君が旅立った、あの日のこと。

今日で春馬君が亡くなってから1カ月。
あの日以来、春馬君のことを思わなかった日はない。
1カ月経ったからって、そう簡単に心の折り合いがつくものでもない。
(私の気持ちの整理の為に、ここではあの日とその後2日間のことを思い出してみるけれど、まだ思い出すのが辛い方はご無理はなさらず、読むのはお控えくださいね。)

2020年7月18日土曜日の午後3時半、スマホでYahoo!ニュースをチェックしていた。

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三浦春馬君の訃報が辛い理由、ネガティブな同一化・共感化。(1)

三浦春馬君の訃報が辛い理由、ネガティブな同一化・共感化。(1)

真面目で、完璧主義、自分なりの努力を積み重ねてそれなりのポジションまではきて満たされている部分もあるが、まだどこかで不安定さもある。
本当の苦しみは誰にも言わない、悟らせもしない。
三浦春馬君が亡くなって以降の報道から、そんな印象を受けた。
春馬君は亡くなる前日まで仕事をしていたという。
友達も沢山いて、話そうとすれば話せる人はそこらにいただろう。
そうであるにも関わらず、誰にも告げることなく、彼

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三浦春馬君の訃報が辛い理由、ネガティブな同一化・共感化。(2)

三浦春馬君の訃報が辛い理由、ネガティブな同一化・共感化。(2)

正直言って、今もまだしんどい。
もう少ししたら、春馬君が亡くなって2か月が経つというのに。
春馬君、貴方がもうこの世に存在しないことが悲しい。
貴方のいない世界で生きていくことは、なんとつまらないことか。
毎日そう思っている。

どうしてこうなるのか。
私の日常に春馬君はいなかったはずで、彼がこの世を去ったからとて、私自身は何も失っていないはずだ。
親が亡くなった時だって、ここまで落ち込みは長引か

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三浦春馬君の訃報が辛い理由、ネガティブな同一化・共感化。(3)

三浦春馬君の訃報が辛い理由、ネガティブな同一化・共感化。(3)

どうしてこんなことになってしまったのか。
なんで、私はこの人のことばかり考えているの。
今も、モニターに映るこの写真を眺めながら考えるが、さっぱりわからない。

イイ男だなぁ…。

三浦春馬君は、いったい私の何だったのか。
実生活では会うことのない人。
何でもなかったんだろうと思うが、今や、私の頭の中のほとんどが春馬君で占められている。
日が経つにつれて、それは増幅している。
仕事の時間にも浸食し

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三浦春馬君の訃報が辛い理由、ネガティブな同一化・共感化。(4)

三浦春馬君の訃報が辛い理由、ネガティブな同一化・共感化。(4)

「カネ恋」を見て以降、気分が落ちている。
あのドラマの中の春馬君は、今年の6~7月頃の春馬君で、その姿を見ると、色々と考えてしまう。
テンションだだ下がりの低空飛行でお送りする、シリーズ記事の4回目、今回でこのシリーズも終わりとなる。

竹内さんの件で、春馬君に代わって竹内さんのことで気持ちが覆われてしまうとか、春馬君と竹内さん双方同じぐらい考えてしまうのかと思いきや、案外そうでもない。
竹内さん

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三浦春馬君の訃報が辛い理由、ネガティブな同一化・共感化の「その後」~いま私にできること・今も悲しみが癒えない人への5つのステップ~

三浦春馬君の訃報が辛い理由、ネガティブな同一化・共感化の「その後」~いま私にできること・今も悲しみが癒えない人への5つのステップ~

三浦春馬君が亡くなって、もう半年以上経つ。
私がこのnoteに春馬君のことを書き綴り始めても、5カ月半が経つ。
時の経過に連れ、私自身の心情にも変化は生じてきた。
去年の後半、ずっと考えていたことは、「私も春馬君のところに行きたくなっちゃったらどうしよう。」ということだった。
自分のことを自分で俯瞰的に心配するという、とても変な感じだけど、確かにそんな感じの日々が続いた。
だが、今は何とかそれなり

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三浦春馬君が旅立ってから、四十九日。

三浦春馬君が旅立ってから、四十九日。

三浦春馬君が亡くなってから、9月4日で四十九日を迎えたのだそう。
この日、春馬君の所属事務所がお知らせを出した。

このお知らせでは、色々なことが明らかにされていて、読んでは考えて、また胸が苦しくなりそうなことも書かれているのだけれども、そんな中でも一つの明るいニュースは、春馬君の出演した未公開作品が放映、公開の方向で進んでいるということ。
素直に嬉しく思う。
更に、ミュージカル「キンキーブーツ」

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三浦春馬君へ「Seasons of Love」を。

三浦春馬君へ「Seasons of Love」を。

ここ数日の私の思考を、また一つ、ここに置いておく。

定期的に観たくなるミュージカルがある。
秋が深まって12月が近づいてくると、特に。
「RENT(レント)」だ。
このミュージカルは、1980年代の終わりから90年代の初めにかけて、ニューヨークのイーストヴィレッジを舞台に、人種的なマイノリティ、セクシャルマイノリティ、HIV感染、ドラッグ、貧困などの問題を絡ませながら、若者達の苦悩と希望を描く、

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「この産業は血の通った仕事」三浦春馬

「この産業は血の通った仕事」三浦春馬

まずは感謝申し上げたい。
ありがとうございます。
前回の記事(↓)、書いて投稿した時には、そんなに反響いただけるものと全く思っていなかったもので、とても驚いている。
そんなにエモかったかしら。

今回は、前回の記事からこぼれた、ミュージカル「RENT」の別の曲の話から、私の思考を縷々記す。
今日の記事はそんなにエモくないと思う、たぶん。

I’ll cover you (Reprise)「RENT

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三浦春馬君から鈴木亮平さんへ、「せかほし」のバトン。

三浦春馬君から鈴木亮平さんへ、「せかほし」のバトン。

新MCでの「世界はほしいモノにあふれてる」生放送から二晩明けた今朝、じんわり思った。
JUJUさんの新しいお相手が、鈴木亮平さんで良かったな、と。

オープニングから大泣き。オープニング始まって間もなく、JUJUさんの「Remember」が流れてきただけで、ぶわっと涙が溢れる。
まだ神尾さんのナレーションも始まらず、誰も出てきていない状況なのに。
私ってば、情緒不安定なのかしら、ええ、そうだろう。

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