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三浦春馬君が旅立ってから、四十九日。

三浦春馬君が亡くなってから、9月4日で四十九日を迎えたのだそう。
この日、春馬君の所属事務所がお知らせを出した。

このお知らせでは、色々なことが明らかにされていて、読んでは考えて、また胸が苦しくなりそうなことも書かれているのだけれども、そんな中でも一つの明るいニュースは、春馬君の出演した未公開作品が放映、公開の方向で進んでいるということ。
素直に嬉しく思う。
更に、ミュージカル「キンキーブーツ」に関しては、やはり権利関係から全編映像化は難しかったものの、15分程度の特別映像として公開してくれるという。
そして、日本人キャストによるサントラCDにおいては、すでに再販を開始したという。
この特別映像を用意してくれるのも、サントラCDの再販をしてくれるのも、私みたいな「キンキーブーツ」を生で観たかったのに観られなかった、一生涯引きずる後悔を背負った人たちへの、救済になるだろう。
去年の自分を呪いたい、そんな気分で毎日を過ごしている人たちの、その悔い自体は無くならないかもしれないが、これらを観たり聴いたりできることで、少しは薄まっていくのではないか。

先日、私はこんな記事を書いた。

ミュージカル「キンキーブーツ」でローラを演じる春馬君を観られなくて、ただただ悔やみ、嘆き、その挙句の果てには、実際は直接観てもいないミュージカルを想像してレビューまで書いてしまった、熱量は半端ないが、少し不憫さも滲み出る記事だ。
この記事内でも、「キンキーブーツ」の映像化を望み、日本キャストのサントラCDの再販を望んだ。
とにかく「キンキーブーツ」を観たかった。
その矢先のこのお知らせは、とても嬉しい。
これを実現するために尽力してくれた人たち、ありがとう。
早速、サントラCDを購入した。
15分の特別映像には、どのシーンが入るだろうか。
楽しみにしている。

この所属事務所のお知らせの中で、突き刺さった言葉は「自責の念」。
これは所属事務所のスタッフの方々の感じておられることで、立場が違うので意味合いは異なるのだけど、実は、私のこの49日間の気持ちも一言で語るとすれば、「自責の念」だったのかもしれない。
この49日間、春馬君の出演作品を多々観てきたが、観終わる度にいつも思い浮かぶ言葉は「ごめんね。」だったということ。
何が「ごめんね。」なのか。
私は所属事務所の人間でもなく、友達でも知り合いでも何でもない一般市民で、もっと言えば、春馬君の熱烈なファンでもなかったわけで、そんな私に何か特別な事ができたわけでもない。
だけど、「春馬君がこんなに良い演技していたの見なくてごめんね。」、「春馬君が一つ一つの作品に一生懸命取り組んでいたことを知らなくてごめんね。」、「春馬君のことを観に行かなくてごめんね。」、「春馬君のことを気にしていなくてごめんね。」と、彼の作品を観れば観るほど、彼が真摯で、聡明で、人柄も良いことも分かって、こんな希代の素晴らしい俳優がいたのに、私は何をしていたのだと思ってしまう。
他の映画もドラマも舞台も山ほど観ていたのに、他のアーティストの歌も山ほど聴いていたのに、どうして、こんな宝のような人に気づけなかったのか。
もっと早くに気づいて、もっとたくさんの賛辞を贈ればよかった。
これは私の考えだけど、エンターテイメントは、楽しませる人(演者)、楽しませてもらう人(客)が相互に反応し合って成立、成長していくものと思っていて、演者にも客にも果たすべき役割がある。
どちらか片方だけいても駄目、一緒に作り上げ、楽しんでいくもの。
長年、私は散々楽しませてもらっていて、「日本のエンターテイメントを応援したい!」なんて言っていたにも関わらず、しかも、それなりに目も肥えたつもりだった一客の立場としては、良きものを称えるという、すべきことをしていなかった、そんな気がする。
だから、「ごめんね。」。

この記事の冒頭、「四十九日を迎えたのだそう。」なんて他人事っぽく書いているのは、私自身は、あまりこの日のことを気にしていなかったから。
節目ではあろうけど、仏教の一つの考え方に過ぎないし、故人を偲ぶことに期限はないと思う。
私はこれまでと同じく、毎日春馬君のことを思うだろう。
この日は、二度目の「コンフィデンスマンJP プリンセス編」を映画館で観てきた。
ジェシーは最高に格好良かった。
次の記事では、ジェシーのことを書くつもり。
書くことで、こんなに遅くなって悪いけど、春馬君への賛辞となり、弔いとなればいいと思っている。

もしサポートをいただけるのでしたら、自身の心を潤すような音楽や映画などなど、エンターテイメントのコンテンツ購入に充てさせていただこうと思います。