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三浦春馬君の訃報が辛い理由、ネガティブな同一化・共感化。(2)

正直言って、今もまだしんどい。
もう少ししたら、春馬君が亡くなって2か月が経つというのに。
春馬君、貴方がもうこの世に存在しないことが悲しい。
貴方のいない世界で生きていくことは、なんとつまらないことか。
毎日そう思っている。

どうしてこうなるのか。
私の日常に春馬君はいなかったはずで、彼がこの世を去ったからとて、私自身は何も失っていないはずだ。
親が亡くなった時だって、ここまで落ち込みは長引かなかった。
どうしてこんなに悲しみが続くのか、この2か月、ずっと考えていた。
この悲しみを引きずらせる、その原因は何なのか。

以前、こんな記事を書いた。

海原先生がいうところの「ネガティブな同一化」が、私には起こってしまったと思われる。
上の記事内にも出てくる海原先生が、どこかの新聞の人生相談の記事で、私と似たような人の悩みの相談に答えていたのを読んだが、その記事の最後にはこう書かれていた。

ご自身の心を悲しみで満たすのではなく、仕事や私生活を精いっぱい生きることが、亡くなった方に対して、今生きている者が示せる愛の形なのではないでしょうか。

確かに、そうかもしれない。
春馬君だって、「春馬君がいてくれたから、私、頑張って生きてるよ!」って言われた方が嬉しいかもしれない。
だけど、頭ではわかっていても、理屈は理解できても、そう簡単にすっきりしないのが人の心だ。
私は、元から仕事の手を抜くタイプではないけれど、こんな精神状態であっても仕事は精いっぱいやっているし、精いっぱいやり過ぎたせいなのか知らないが、つい最近も、その仕事ぶりに関しては遠くにいる偉い人から高評価を貰ってしまった。
以前なら、大喜びするところが、今はそんな気分にもならない。
仕事を頑張るだけでは、この気持ちは晴れないし、整理もなかなかつかないのだ。
仕事面で満たされても、精いっぱい生きてても、なかなかすぐに春馬君を失ってできた心の穴は埋まりはしないのだ。

私みたいに落ち込みが続き、遺っている春馬君の姿を追い続けている人は少なくはないようだが、春馬君の訃報を聞いた人すべてがそうなるわけでもない。
例えば、8月27日の「世界はほしいモノにあふれてる~旅するバイヤー極上リスト~」は、春馬君が生前に収録していた3回分の最後の放送だったが、平均視聴率は6.2%(関東地区)だった。
私なんて、この回が最後だし、日本のよきものを取り上げたこの回は、きっと春馬君の思い入れもより強いだろうと思ったので、春馬君の発する言葉や表情を一瞬たりとも逃してはならぬと、録画予約もした上で、リアルタイムでもテレビを食い入るように観た。
一方、裏の「アンサング・シンデレラ 病院薬剤師の処方箋」は9.3%だし、時間帯は違うけど、「私の家政夫ナギサさん」の最終回は19.6%だった。
視聴率だけをとって一概に言えることでもないが、生前の春馬君が出演した最後の「せかほし」が、世の関心をそこまで集めていたわけでもないと思われる。
春馬君の訃報そのものは、多くの人に衝撃を与えたかもしれないが、その後、私のように、今や四六時中、春馬君のことを考えている人は、恐らく、世のマジョリティではないのだろう。

今日も、芸能界ではまた悲しい出来事があった。
彼女のことは知っていたし、出演作も幾つか見ていたけれど、申し訳ないが、この知らせに大きく驚くことはなかった。
春馬君の時のように手が震えて、息苦しくなって、吐き気がして、ということもないし、わりと冷静でいられた。
とても気の毒には思うけれど、どうして彼女がそういうことになってしまったのかとか、彼女のことをより深く知りたいとか思ったりすることもなく、ただご冥福をお祈りしたいと思った。
春馬君に対しては、今でさえまだ思えない「ご冥福をお祈りしたい。」を彼女に対してはすぐに思える。
この違いは何なのだ。
本人の性別?本人の露出の程度?私がその人を好きかどうか?私が観たその人の作品数?
わからない。

私に「ネガティブな同一化」が起こったのはわかったが、どうして私にはその「ネガティブな同一化」が起こったのか、その理由が知りたいのだけれども、その答えはどこにあるのか。
その答えが書かれているものは見つからない。
では、考えるしかないのだろうか。
恐らく、この気持ちの引きずりには、亡くなった人側、生きている人側、それぞれに起因する幾つかの要素が合わさって生じたのではないか。
そう仮説を立てて、これからゆっくりと一つ一つ、こうだからか、ああだからかと考えてみようと思う。
何かの答えに辿り着けるのかもわからないし、辿り着いたからと言って私の心が晴れるのか、より曇るのかもわからない。
ただ、私だって、いつまでも悲しんでばかりいないで、春馬君が残してくれた沢山の作品を慈しみ、素晴らしい俳優がいてくれたこと、きっかけは衝撃的であったけど、春馬君という人間を深く知れたことをポジティブに捉え、それを支えにこれからの私の人生も、前向きに生きていけたらよいと思っている。
何となくの勘でしかないけれど、この思考を巡らして、それを言葉にすることはやらないよりやった方がマシで、そうすることで、私を少しでも前向きにしてくれるのではないか、悲しみを乗り越える作業になるのではないか、そんな期待を抱いている。

長い話になるので、今回はここまで。


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