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600字note

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毎日約600字、原稿用紙1枚半くらいのnoteを更新するチャレンジをしています。 ▼2020.10.7~
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#毎日note

毎日noteを、一度やめてみようと思う

毎日noteを、一度やめてみようと思う

10月7日からはじめた毎日note投稿、気づけば1か月半くらい経っていた。
ノートに記すたった3行くらいの日記だって一週間も継続できなかったのに、ここまで書き続けられたのは、「読んでるよ」と言ってくれた友人や、直接の知り合いではないけれどスキを押してくれた方たちのおかげ。
自分のやっていることを見てくれている誰かがいると思うと、エネルギーがわいてくる。

毎日noteをはじめてよかったことは、一週

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押し入れの中のアルバム

押し入れの中のアルバム

実家の押し入れには、両親の若い頃のアルバムがたくさんしまってある。
昔はよく、それらを引っ張り出してきてぺらぺらとめくっていた。両親の何十年か前の写真を見るのは、過去にタイムスリップして両親がまだ「お父さん」「お母さん」でない頃の姿を覗いているようで、おもしろくてちょっとドキドキした。
母親の小学生時代の写真を見たら、当時の自分とあまりに瓜二つで笑ってしまった記憶もある。

いま、わたしは日常生活

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基本的に、悩んだことでしか文章が書けない

基本的に、悩んだことでしか文章が書けない

自分が今まで書いたnoteを振り返ってみると、「なんだか負のオーラが漂ってるな…」と思う。

毎日どんなことをテーマにするのか考えて自分の頭の中を見渡すとき、「書けそうだな」と感じるのは、過去に思い悩んだことが多かった。
特段つまずいた経験がなく、うまくいっていることや、特に興味関心がないことについては、強く主張したい意見もないのだと思う。

とはいえ、ただ鬱屈した思いを吐き出すよりも、ポジティブ

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季節が変わるたびに「着る服がない」と言っている気がする

季節が変わるたびに「着る服がない」と言っている気がする

「去年のわたしは一体何を着ていたんだ?」

毎年、そろそろ半袖で過ごすのが厳しくなってきた秋のはじまりと、大気から刺すような冷たさがなくなった春のはじまりに、わたしが必ず言う台詞。

春も秋も、まさか何も着ていないわけではあるまいし。
何かしらの服を身につけて過ごしているはずなのに、次の年になると決まって、着られる服のレパートリーの少なさに驚愕するのだ。
元々着るものをたくさん持つタイプではないか

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充電が少なくなっています

最近、「ああ、いまじぶんの充電残量が少ないな」と思う。

少し前までのほうが、仕事も他のことも忙しかったはずなのだけど、ひとつのことに区切りをつけたら、なんだか力が入らなくなってしまった。
これまでストレスやプレッシャーでずっと気持ちがこわばっていて、いざ緩めても、力が入りすぎていたせいでまだしびれている、という感じ。
ときどき、金縛りにあったみたいに動けなくなってしまう。

こんなとき、どうやっ

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路線図をたどって

路線図をたどって

いつからだったか、路線図を眺めることが好きだと気づいた。
自他ともに認める方向音痴で、地図はそこまで好きじゃないのだけど、線路が張り巡らされたさまが描かれた路線図は、いつまででも見ていられる。

高校生までは、電車に乗るといっても隣町の高校まで通う一駅の区間だけだったから、JRと地下鉄を乗り継ぎ、1時間かけて大学まで通うようになった頃だろうか。
そういえば、青春18きっぷを初めて使ったのも、新幹線

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「タルト・タタン」に焦がれて

「タルト・タタン」に焦がれて

「タルト・タタン」というお菓子の名前を知ったのは、高校3年生のときだった。

わたしの通っていた高校では、毎年どこかの大学の見学に行って卒業生の話を聴くという行事があり、3年生はいつも京都大学を訪れることになっていた。
とはいえ、高3にもなればみんな大体志望校は決まっており、ほとんどのクラスメイトはメインイベントである大学見学よりも、そのあとに待っている束の間の京都観光のことを考えていた。もちろん

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同い年の誰かの活躍に、心臓の奥底が疼く

最近、SNSなどで同い年の人たちの活躍を目にすることが増えた。

光る作品を生み出すクリエイターや、勢いのある会社でめざましい成果を出しているビジネスマン、すでに一苦労も二苦労もしてきたような起業家のプロフィールに「1994年生まれ」と書いてあるのを見ると、心臓の鼓動が速くなるのを感じる。

スポーツ界には、既に破竹の勢いの活躍を見せている同年代の有名人が多い。
彼らは幼少期からその道一筋の生活を

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毎日noteを1か月以上続けて感じた効果

毎日noteを1か月以上続けて感じた効果

2020年10月7日から毎日noteを更新しはじめて、一か月と一週間ほどが経った。
中途半端なタイミングではあるけれど、noteを毎日書くことで、自分にどんな良いことがあったのかをいくつか挙げてみたいと思う。

自分の興味の方向性が浮かび上がる内容に何の縛りも設けないことで、毎日「何を書こう?」というテーマ決めからはじめることになる。
全く興味のないことは600字だってなかなか書けないし、まず話の

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能動的に生きる

能動的に生きる

今日、26回目の誕生日を迎えた。

25歳のときにしたいくつかの決断によって、きっと26歳は大きく人生が動く一年になる、と思う。

大学生の頃は、学生を卒業して社会人になったら、ごくたまに発生するかもしれないライフイベントのほかは、何十年も変わりなく平坦な日々を繰り返すのだと勝手に想像していた。
いまは働き始めてようやく3年半が経過したくらいだけど、実際には全くそんなことはない。
人間関係だって、

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歳を重ねること、大人になること

歳を重ねること、大人になること

会社の同期と焼肉を食べた帰り道、「脂ののったお肉は、ちょっとだけで十分」「昔は無限に食べられたのにね」なんて話した。
入社したばかりのころは、飲み会のあとには必ず二軒目かカラオケに行く流れになっていたのに、今日は皆さくっと解散。

お肉や揚げ物を食べすぎると、すぐに胃もたれする。夜通し外ではしゃぐより、家でまったりと過ごして眠りにつきたい。
それは、大人になったということなのだろうか。
少なくとも

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「休むこと」が上手になりたい

「休むこと」が上手になりたい

最近、自分は「休むこと」が下手だと気づいた。

昔から、連続した何かが途切れることを恐れていた。

学校を休んだ次の日、自分が昨日いなかった教室に足を踏み入れるのが憂鬱という理由で、体調を崩すのがこわかった。
さぼることを覚えがちな大学時代、ほとんど講義を休んだことはなかった。出席だけして居眠りをすることは多々あったけど。
現在の職場では、ただ純粋に休息をとるための有給休暇をとったことがない。休む

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あなたの書く字が知りたい

あなたの書く字が知りたい

誰かの筆跡を見るのが、とても好きだ。

現代社会においては、基本的にテキストのやり取りは電子的方法で行われる。
キーボードをたたくと画面の中に並ぶ、均一で癖も乱れもない文字の列。
文字間隔も一定で、とても読みやすい。

けれど、気持ちを伝える場面においては、どんな心を尽くしたLINEのメッセージだって、手書きで添えられたメモにはかなわないと思ってしまうのだ。



交換ノートの順番が回ってくるの

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「誰かのために頑張る」ひたむきさが、時に自分を苦しめる

「誰かのために頑張る」ひたむきさが、時に自分を苦しめる

自分が何かを頑張るときの原動力ってなんだろう?

この問いに対して、答えはいくつか思い浮かぶ。

自分がレベルアップしていく気持ちよさ。
社会的に認められたいという承認欲求。
親しい人からの「ありがとう」の言葉。などなど。

たぶんわたしは、自らエネルギーを生み出す力があまり強くない。
(そんな自分を受け入れられるようになったのは、ごく最近のことだけど)
もし、世界に自分ひとりしか人間がいなくなっ

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