「誰かのために頑張る」ひたむきさが、時に自分を苦しめる
自分が何かを頑張るときの原動力ってなんだろう?
この問いに対して、答えはいくつか思い浮かぶ。
自分がレベルアップしていく気持ちよさ。
社会的に認められたいという承認欲求。
親しい人からの「ありがとう」の言葉。などなど。
たぶんわたしは、自らエネルギーを生み出す力があまり強くない。
(そんな自分を受け入れられるようになったのは、ごく最近のことだけど)
もし、世界に自分ひとりしか人間がいなくなったとしたら、きっとどんな物事に対するスタンスも、今より中途半端になってしまうだろう。
自分の頑張りによって、周りにいる大切な誰かが笑ってくれること、「ありがとう」と言ってくれることは、自分だけを喜ばせるよりも何倍もうれしくて、もっともっと頑張ろうと思える。
一方で、行き過ぎた「誰かのため」は、結局自分の首を絞めることになる危うさを孕んでいる。
相手から感謝されることがうれしくて、本当は気の進まないことを率先してやっているうちに、自分の頑張る意味を「他者の反応」という、自分でコントロールできない事象に依存してしまう。
こうやって書くと「さすがにそこまではしないよ」と思うけれど、いま振り返ると人生の中で思い当たる節はいくつかある。
誰かのためだけでも、自分のためだけでもない頑張り方って、すごくバランス感覚が必要だ。
周りの誰かのために頑張ろう、と思ったときは、それを頑張ることで自分も楽しむことができるのか、立ち止まって考えるようにしたい。
(607字)
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